「水遊び」蒼月光 著
最近、時間と体力が有る時は、父が当番役になっている町内会の花壇の水遣りを手伝うことがある。
準備として近所の公園の水飲み場まで水を汲みに行くのだが、その公園には子供たちが十分遊べるくらいの規模の水場が造設されている。
水深は子供が座り込んでもお尻が隠れる程度のものだが、腕白な男の子くらいになると子象の水浴びさながら小さな虹をつくりながら、それはもう愉しそうにはしゃいでいるのに遭遇することもある。
私が大きな容器に水遣り用の水を入れていると、「なにしてるのー?」とはぁはぁ息を切らせながら無邪気に聞いてくる、びしゃびしゃの子象ならぬ小僧達。
お花に水をあげるんだよー、と、首に巻いたタオルで流れる汗を拭いながら答える私。
「どこのお花―?」「へー」なんて言いながら、短い髪の先から雫を垂らしながら、シュコシュコと手元の水鉄砲を動かして、象さんの鼻から放たれるが如く天高く上がる水。
この遠慮のない無邪気さが男の子の良さだと思う。
ここまでずぶ濡れだとさすがに家に帰ったらお母さんも驚くだろうなぁと思ったけれど「すっごいびしょ濡れだねぇ」なんて近所のお姉さんらしい距離感でニコニコ笑ってあげたら、つぶらな眼をくりくり動かして凄く照れたように笑って。
また水にざばんと入っていったのが何とも言えず可愛くて。一緒に水まみれになりたい程だった。
私は子どもの頃から水に触れることが好きだった。
小学校の頃は水泳教室に通っていた。
生来、おっとりと育ち、いつしか競争というものに嫌悪感さえ感じていた私は、とりあえずなるべく長い距離を泳げるようになれれば良いという、全くの気負いカロリーゼロで通っていた。
それでもクロール、平泳ぎ、バタフライ、と一通りのスイムを習得できたので、学校の水泳の授業では全く苦労することがなかったことを親に感謝したい。
そこで毎回授業が終わる前に自由時間というのがあり、プールから上がらなければ何をしても良いというお遊びタイムがあった。
なにしろ一番楽しみにしていた時間のこと。周りが嬌声と共にバシャバシャ遊び出す中、その時間、私が一番多く何をしていたかというと…ひたすら潜水をしていた記憶がある。
いや、もっと言うと。例えば友人とプールに遊びに行った時でも、水面上を泳ぐというよりも潜水をよくしていたように覚えている。
潜水とは、字のごとく、水に潜るだけなのだが、何故だか無性に好きなことだった。
プールの壁面にある梯子や凹凸に体が浮かない様に手をかけて、プールの底に座る。
鼓膜は大半をコポコポという水音だけで満たされ、世界が薄青い色に染まって。
上を見上げたら、水面から射し込む光が揺らいで視えて。
その向こうには水の流動に合わせて揺蕩う世界が広がっている。
数秒、息をしなくてもいいような錯覚に陥るほど、その世界が好きだった。
ただ底に沈むだけじゃなく、なるべくプールの底の方を狙って泳ぐのも、魚になった気がして気持ち良かったのを覚えてる。
それからもう少し時を遡る。
夏の暑い日は母とよくバケツを持って近所にある川へ行った。
ほんのすこしの川の水臭さ。ほんのちょっとぬるい、水の流れの気持ち良さ。
入る水深の限界は服がすぐ乾くくらい、せいぜい脹脛くらいまでの高さで堪能しながら、川影に潜むカワニナやタニシを獲り、家に持ち帰っては、金魚の泳ぐ平和な水槽へと入れる。
水槽の壁面や飾りに置いている石にじわじわと増える水苔を食欲旺盛に食べてくれる貝。
硝子越しにムチョムチョと動く様は、子供の目にはいつまでも見て居られる不思議な生き物でしかなかった。
更にもう少し幼い頃。
氷柱も溶け落ちる雪解けの春先。
現在では除雪をしっかりしてくれるようになったこともあり、冬終わりの積雪量が少なくなったせいか、家の前に水分量の多いシャーベット状の雪が溜まることもなくなったが、昔は酷いもので。長靴がなければ歩けないほどだった。
親がべちょべちょになりながら四苦八苦の除雪作業をしている横で、子供用のプラスチックスコップを両手で持ち、歩道に沿って、下水へ続く地面の鉄柵までジャァアアアと掻くのが無性に好きだった。
それはもう梅の蕾が目立つ春になるまで、毎日毎日ジャァアアアとただただ無心にシャーベット状の雪を掻いていた。
親に「アンタ、それ本当に好きねぇ」と呆れられながら言われたのをぼんやりと覚えているから、夢ではなく本当の記憶のことと想う。
何故そんなことが好きだったのか、全く覚えていない、もはや霧の向こうの出来事なのが残念だけれど。
ざらざらした雪を掻いた時に響く振動の面白さと、溶けた水にシャーベット状の雪が流れていく様が日光にあたってキラキラしているのが子供の目には綺麗なものにみえたのかもしれない。
日々、水に触れ、水を飲み、水を取り込まなければ生きられない私達。
幸せなことに北海道は豊富な水量を保つ土地柄でもあるから、池・川・湖・海…少しの移動で何処かの水辺に逢える。
冬の季節になると水が結晶化したもので覆われる北国の土地でもある。
資源を無駄にすることじゃなく、水と戯れることは、自然の中で生きている自分を自覚できる良いチャンスなのではないだろうか。
北海道ではラフティングやカヌーなど水辺のアクティビティ体験を出来る場所が増えている。機会があれば、是非にと私が前のめりにお勧めしたくなるのは、水と触れ合うのが好きだからという理由だけではないはずだ。
雑談 「青じそ 愛」
札幌は連日のように最高気温が30度を越えている。夏バテで皆、よく倒れず頑張って生きてるよなあと思いつつ、私も滝のように汗を流しながら過ごしている。10年越えの冷蔵庫もこの暑さにやられたらしく、氷を作るのを止めてしまった。
そんな中、私が僅かに涼を感じる瞬間がある。チューブの青じそを絞り出す、その一瞬だ。量は目分量、グーの手で握って絞る。だから消費量がハンパない。
文学フリマの打ち上げで、ソフトクリームを食べているときに、チューブの青じそにハマっているという話を聞いてから私も虜になってしまった。「えーっ、チューブ?」と思った。あまり人工的なものは好きではないタイプだ。生姜もにんにくも摺り下ろして使う。青じそ談議に盛り上がる二人を、ふーん、と心ここに在らずという様子で聞いていた。しかし、あまりにも二人が薦めるので一応話題に付いて行くために買ってみたら、なかなか良いのだ。それ自体の味は微妙だが。他の食品と組み合わせることによって本領を発揮する。
納豆に入れるのが特にオススメらしい。冷や奴に乗せても、素麺の薬味としても美味しい。シソの葉を刻んだ香りには及ばないが繊維質が気にならないのがチューブの良いところだ。スーパーで1本100円で売っているというのも気軽に買えていい。
何となく青じその味。そこに、どれくらい醤油をかけて良いか分からず、青じそも醤油も目分量の世界。
冷蔵庫から出す、青じそを捻り出す、そして食す。
それだけで、気持ちが涼やかになる。
「道端のミントの葉でも噛んでたら? 無料だよ。」なんて私の心の悪魔が囁いているが。
青じそ風味なだけで、私の中で吹く風が1度くらい下がるような気がする。
そんな最中、昨晩、青じそを、使い切った。
暑すぎる、暑すぎる中、家族はどん兵衛を食していた。汗だくで。
私も青じそを切らした本日は、なんの涼を感じることもなく同じく、業務用一味を多量に、投入し、熱々のインスタントうどんを啜った。
あまりにも、青じそが、恋しい。
待っていて、青じそさん。暑さにやられた頭でパクチーを掴まないように、今日はそれだけを課題に生きることにする。
「じょっぴんかる」高柳 龍 著
◇じょっぴんかる◇ 「己を出すことから」 高柳 龍
昔から犬派であったのは、私が普通以上に男女の違いを意識する子どもであったことも理由にあったろう。男は犬好きで女は猫を可愛がる。厳寒の雪中でも堪える意識も無く犬とじゃれ合う男の子、片や耐寒力弱く家中にいて炬燵と子猫の温みでうとうとする可愛らしい女の子。
その犬好きに変化が来したのは大学時代。散歩を喜ぶ犬が飼い主より先んじながらも終始振り返り見上げる姿を情けないと見た。嘗てはその従順さに好感を持っていたのに。卑屈な隷従に見えたのだった。クーンと愛くるしく主人に甘える表情も、(孰れに難があるかを問わず)散歩の途中で抱きかかえられて満足している顔も、ましてや不様な姿勢で用便したのを飼い主が屈んで拾う傍らで素知らぬふうを呈するとは。引き替えて、人間の情感など無視するように背筋を伸ばして世を睥睨する猫に気高さを覚えたのだった。犬は人に付き猫は家に付くという古言も思い合わされ、今さら猫派を名乗りはしないけれど、一旦見方が変われば益々そう見えてしまうのだから怖い。感じ方、考え方が相違すれば同一の事物でも全く異なる風に見えるのは真理というものだろう。
インスタントのラーメンでも見方は様々だ。私が袋入りに拘るのは、カップ麺では調理の要素が無いからだ。では、少しでも調理しているのだと思いたがるのは何ゆえか。あまりに手を抜く人間性が世間的では評価されぬからだろうか。否、自分なりの工夫でオリジナルの味が楽しめるからである。何をトッピングするかで変身もあり得ようし、葱を刻んで入れるだけで本物らしくなる。何の添加無しでも、沸騰した湯を掛けるだけのカップ麺とは違い、コンロの火加減一つで味は変わるし、プラのスプーンで食するよりマイ箸で啜るだけでも気持ちが違って来よう。つまりは自分本位で食行為をしているという自覚が持てるのだ。遠くより眺めれば、それが自己を見失うこと無く自身を生きていると映る筈である。世事や時流に合わせているだけでは駄目だ。主体的に生きねばならぬと、真摯深刻に思うようになったからではないか。
アイデンティティに目覚めた時、人は自立する。その方法として他人との比較に優るものはあるまい。同調協調の肝要は知悉しているだけに個性の発揚は露わには出さず、それだけ根の深いものとなることで己は確立していくものだ。
「岡山では女の子も『わし』って言うの?」「『なまら』って北海道弁でしょ」「京都の男の子は女の子でもきまり悪いような京言葉を使うのよ」「大阪人はお国言葉に誇りを持っているから英語だって大阪弁なんだぜ」「沖縄の言葉は分からない語がたくさんあるけど青森弁も対だねえ」例は永遠に尽きることは無かった。
折しも亥年選挙、まずは参議員選があった。投票率は50%を切る惨憺さ。あらゆることに他を受け入れながらの自己主張をしていくことが大事ではなかろうか。
標準語使用を基本とする東京人より方言を持っている地方人の方がお喋りの中心にいられたように思う。自分たちが使わなくなっているだけに新鮮に思え、自分の基盤に層の厚い文化があることを「方言」からだけでも感得することができたように思う。
「いつまでもダハンコイてたって買っちゃらんぞ」「ちゃんとジョッピンカッて来た?」「係長は酒入るとゴンボホルからなあ」「あんまりカッチャクと痕が残るぞ」「あずましくないこと言わんで」……昔の北海道弁の数々である。私は方言のあまり使われぬ環境にいたのだろう、ほとんどが聞きに歩いたり書物で調べたものである。それより標準語だと思っていたのが違った例を挙げる方が面白かろう。
小学生と草野球をしてやって目に砂粒が入って真っ赤になった。眼科に行って医者が「どうしました?」と言うのへ、「砂だと思うんですが、イズイんです」と応じると「どういう意味ですか」と来た。即座に此方は理解して説明序に「標準語では何と言うんですか」と尋ねるとその中年医師、暫く考えて「ピタリと表す語はないですね。目がゴロゴロするってのがいいところかな?」と。
これもやはり医者相手。風邪を悪化させて内科に行った。どうしたと聞かれ「熱も高くコワイんです」と言うと「何が怖いのです?」と、30半ばの医者だった。
最後にもう一つ。明治開拓期に他県からやってきた方言が根付いたものが多い北海道方言だが、これもそうだろうか。
雪深い朝、小学生は雪を漕いで学校に行った。履いていた手袋で雪を掻くようにハッチャキコイて。
「じょっぴんかる」 蒼月光 著
父方の実家は函館近くの見る角度によって形を変える駒ヶ岳が、ほんの少し遠くに見える程度に在る。
つまりは所謂「ハマ言葉」にかなり寄った言葉遣いをする。
伯父叔母の言葉はたまに分からないくらいで、聴き飛ばしてしまったりしても会話は成立できる程度だったが、祖母の言葉がとにかく難解だった。
本州出身の母も同じだったらしく、一旦、父や伯父叔母の顔を見て通訳して貰ってから、頷いたり返事をしたり…まるで外国語のごとくである。
オマケに私は人見知りの強すぎる子供で、その人見知りは親類にも及ぶ始末の不甲斐ない孫ではあったが、祖母はとかく可愛がってくれた。
数年おきに実家へ行く度、広い畑の仕事で丸くなった背をくるりと返し、爪の間に土の付いた手で私を自慢の畑に招いて、ここに果物が野菜が…とニコニコしながら教えてくれるのだ。今思えば、祖母も気を遣ってだろうか、あまり長い言葉は話さず、単語を繋いだ程度で話しかけてくれていたように思う。
私がまだ学生服を着ていた時分に、祖母は天寿を全うしたけれど、今の年齢でこそ向かい合って話がしたい人の一人だ。
私にとっては生前逢えた唯一の祖母だったからこそ、悔やむことも多い。せめて成人してから会えていたら、人見知りの影も薄れた私が会えていたら「おばあちゃん」とたくさん呼ぶことが出来たのだろうに。
言葉なんて意外に通じるものだと、意外なほど大事なことは通じるものだと、社会の波に多少なりとも揉まれた今なら、分かるのに。
なかなか行けない父の実家の仏壇の前で合掌する度、呼ぶ声は届いていると思いたい。
「じょっぴんかる」という言葉を生の会話で聴いたのは、社会人になってからだった。仕事の休憩中、多少のおふざけもあったろうが、如何にも自然に「じょっぴんかった?」と言われて、思わず聞き返してしまった。
年齢は同年齢の集まりでも、地元は札幌市以外の人も少なくないグループだったので、私だけが聞き覚えの無い言葉なのかと想ったら、意外にも「じょっぴんかる」を言った人以外は、使った事がない言葉であるのを発見した。
それからは、もう北海道弁のアレは知ってる?コレは使ってた?のオンパレードである。根っからのさっぽろっこ(生まれ育ちが札幌市の意味)の私は、せいぜい「なまら」「わや」「したっけ」「そだね」「ゴミ投げて」「手袋はいて」…いや、せいぜいじゃないけれど、まだ程度の知れた北海道弁を使っていたし、現役な言葉も多い。
思い返せば特に「なまら」と「わや」を使っていたのは小中学校時代くらいまでの話で、年齢が進むと使わなくなる言葉なのが不思議だ。夏のジリジリするような太陽にも負ケズ、未だに子供たちが「なまら」「わや」を使って元気に叫び走り回っているのを窓越しに聞くが、大人たちが使うのを余り聞かない。
誰かを貶める言葉でもないのに使わなくなる理由はなんだろうと思う。
なんだったら「なまら」と「わや」だけで会話をしていた時期が有った気がする。それだけ汎用性の高い言葉なのだ。
「なまら」は、たしかにある意味で有名になり過ぎて北海道臭さ…ラベンダーだったりキタキツネや乳牛だったり広大な畑だったり…がプンプンしすぎているからというのは分かる。
けれど「わや」はそこまで敬遠される言葉だろうか。
実はこの「わや」という言葉、北海道だけではなく、岡山県・広島県・愛知県・三重県等広い地域で使用されているようだ。また使い方も大方同じようで、今まで北海道弁と思い込んでいた自分が少し恥ずかしくなる。
しかしながらこういった視点でも北海道という土地が、本州から移住された人達のお陰で発展できた土地ということが証明される。蝦夷地北海道にはマンパワーと同時に地元の言葉も一緒に届いたのだ。
「わや」という言葉、少し調べてみると、元々は、「おうあく」という古今和歌集にも使われれている古語が語源となっているらしい。「おうわく」が「わやく」「わわく」となっていき、特に「わやく」から「わや」に変化。定かでないながらも関西が発祥のと言われているそうだ。
因みに、手元にあった三省堂新明解国語辞書第四版では「(大阪を中心として南は長崎、北は愛知・岐阜から北陸の方言)めちゃめちゃ・乱雑」と書かれていた。
そういえば、ダウンタウンのお二人も「わや」という言葉を使っていた覚えがある。
正直、「わや」を使っていた当時は方言かどうかを気にせずに日常の言葉としてのびのびと大きな声で発していた。それが正しく、真っ正直な言葉の使い方なのだと思う。
日本の共通の言葉で、基本的だと考えられるのは東京本社のアナウンサーが使っている言葉がそれなのだろうか。日本人全員に伝わり、外国人にも正しい基本の日本語だと教えられる言葉。
だからと言って、地方にある言葉を忘れさせていく風潮にあるのはどうなのだろう。
勿論、新しい言葉が生まれるというのなら、自然と使われなくなっていく言葉も有るだろう。けれど産土の匂い含まれるものは生きていくのに大事な糧になるはずだ。
何かの用事で、方言の強い地域の企業に電話をしたら、イントネーションは違えどその言葉以上に伝わるもの真摯さや丁寧さを感じたことがある。
「なまらわやで、いいっしょ」なんて、いつかの最高の誉め言葉だった。
使わなくても覚えている言葉は、身に沁みついてる大事な言葉だ。
たまにでも地元の友達とキャッチボールし合っていこう。
じゃれあうように、甘えるように、忘れない様に。
※今回のテーマタイトル「じょっぴんかる」とは、北海道の方言で「錠をかける(締める)」という意味です。
「じょっぴんかる」御理伊武 著
小学生の頃、友達に鍵のついた日記帳を見せてもらったことがある。
厚手の表紙の真ん中に小さな錠前があり、鍵をかけると開けなくなる構造だ。ファンシーショップで見かけたことはあったが、子供のお小遣いで買うのには高価だったので、眺めているだけだった。
そもそも、日記は三日坊主で、夏休みの宿題の日記ともなると最終日に無理矢理思い出してまとめて書くタイプだ。だから日記帳を欲しいとは思わなかったのだが、その小さな鍵に惹かれた。
自分だけの秘密を日記に書き記し、誰に見られないように鍵をかける。そんな状況を想像すると思春期独特の胸がキューッとなる感じがした。
思い起こすと、女の子が好きそうな小物入れや缶のケースには小さな鍵がついていた。自分にとっては鍵をかけてしまっておきたい宝物。友達からもらったビー玉とか。小さなメモとか。お祭りで手に入れたキラキラと輝く指輪とか。大人から見ればどうでもよいものを鍵付きの宝箱に仕舞っておきたかったのだろう。
学習机にも一番上の引き出しに鍵がついている。
私は、そこに大切なものを入れていたのだ。親は鍵のかかった引き出しに気がついていたのだろうと思う。中を知っていたのか、無関心だったのか。もう机はないのだけれど。
思い出も、現在進行形のその時も、全てひっくるめて入っていた。
あなたは、何を入れていたのか、覚えていますか?
鍵をなくすのが怖い。
鍵そのものが小さくて薄く、一度置き場所を誤るとぐるぐると家中を探すことになる。
私は家の中では決まった場所に鍵を吊すようにし、決してその辺に放っておかないようにしている。鍵には大きなキーホルダーを3個付け、鞄の中では鍵を入れる内ポケットを決めておき、時々触って存在を確かめている。
そんなに大切に扱っていたのに、事件は突如として起こるのだ。
だいぶ前だが、帰宅時に早くトイレに行きたいと思い焦っていた午後6時。エレベーターから降りた拍子に、鍵は手から滑り落ち、エレベーターのドアの隙間から暗黒の闇の底へと消えて行った。十数メートル下の地底で微かにシャリンという音がした。
「うわわわ」
頭の中が真っ白になった。
ホールインワンだ。
なぜ、こんな時に着地すべき平らな場所はいくらでもあるのに、僅かな隙間へ落ちていかなくてはならないのか。
再び、エレベーターに戻り、エレベーターの中に書かれた管理会社に電話する。携帯があって良かったーっと思う。動悸が収まらない震える声で事情を話すと、冷静な女性職員が対応してくれ、30分程で伺いますとのこと。たまたま保守の人が近くで作業していたらしく、そこから駆けつけてくれるらしい。
エレベーターホールで待っていると、程なく管理会社の茶髪のお兄さんが到着した。途中で引っかかっているとやっかいですね、と言われ、さらに冷や汗をかきながら、お兄さんを見守る。運良く、エレベーターを止めている間、他の住民の行き来はなく、迷惑をかけずに済みそれだけは幸いだった。地下に入っていったお兄さんを待つこと、十数分。救助から帰還した茶髪のお兄さんの手には、見慣れた私の大切な鍵がしっかりと握られていた。
アルマゲドンのラストを飾った曲が掛かる。
エアロスミスのあの曲だ。感動的な再会。チャラ男風のお兄さんが英雄に見える。
また、会えたね、鍵!
もう決して手から離さないよ、鍵!
ずっと大切にするよ、鍵!
そんな私のバカ面をよそに、お兄さんはさっさと退散の準備を始める。
私はトイレに行きたかったことをすっかり忘れ、マンションの玄関を去るお兄さんに深く深く頭を下げ、茶髪の髪が跳ねた後ろ姿を見送った。
それから、私はキーホルダーを増強し、隙間には落とさぬようにしたが、道ばたで落とすという可能性はまだ残っている。
鍵を持つだけでも、ストレスがかかる。だが、指紋認証などだと、指を切られたらどうしようなんて、普段は全く心配はいらない二時間ドラマで起こりそうな展開を想像してしまう。
鍵をしめてしまえば鍵がないと入れないが、鍵が開いていたらいつでも入れるのだ。
盗人が来ても現金以外の目欲しいものはないだろう。テレビは29000円だし、電子レンジはドアを手で押さえたままでないと動かない。
ただ、知らないうちに洋服タンスの引き出しに食べかけのみたらし団子を入れられたら嫌だとは思う。
知らない人が入って来て荒らされるのが嫌であって、盗まれて本当に困るものはあるのだろうか。
他の人にとってはどうでもよいものを鍵のついた小箱に大切に仕舞うように、私は今日も鍵を掛けるのだ。
若い頃は心に鍵を掛けていた。
誰にも覗かれないように。扉を固く閉じていないと、中の自分がバラバラに壊れてしまいそうだった。
街で賑やかなおばちゃんの集団とすれ違う。
自分も他の人から見れば同じように見えるのだろう。
もう、よいかなと思うのだ。
鍵は一つしかない。
私は、鞄の中で嵩張るその感触を確かめる。
※今回のテーマタイトル「じょっぴんかる」とは、北海道の方言で「錠をかける(締める)」という意味です。
蒼月光というペンネームについて
思えば、子供の頃から本が好きでした。
それから学校に行くようになったら「国語」の授業が大好きでした。
気が付けば、友達との交換日記に、ちんまりとした詩を書くようになって。
私には勿体ない、ちゃんとした友人で。
嘲りも冷やかしもせず、優しくて素直な感想を述べてくれたのを覚えています。
高校時代になって。
ほぼ潰れそうになっていた文芸同好会を御理伊武を中心に建て直して。
高柳龍先生(本名に非ず)を顧問として、改めてちゃんとした「物書き」「モノヅクリ」を始めました。
その時に同好会員、各々にペンネームが必要だということになって。
その時に「蒼月 光(アオツキヒカル)」が誕生しました。
本当は「光」は「翔」にしようと想っていたのですが、別の人が先に付けたので
(早いもの勝ちの世界)悩んだ末に「光」となりました。
「蒼月」は、北海道出身の漫画家藤田和日郎氏の名作漫画「うしおととら」の主人公から頂戴しました。ストーリーが秀逸で、終わり方も完璧で、本当に好きな漫画の一つで。
特に読んでいた時、たまたま主人公と年齢が同じだったのもあって、のめり込むように世界に入って行ったのを覚えています。
あの主人公のように仲間を護り、護られ生きていけたらと。
ずっと曇らない真っ直ぐな目を持って。
また、単純に「蒼月」という言葉で浮かぶ情景が良いと思ったのも有ります。
「青」ではなく「蒼」がもつ色の響きも。
それが、「光」という言葉を続かせました。
当時、たまたま読んでいた本に「月見草」が出てきて。
名の通り、夜の月が出ている間しか咲かない花があると初めて知り、
そこからもインスピレーションを貰いました。
夜の帳
月からのスポットライトが一輪の花を咲かせる
そんな風に作品を作っていきたいと願い、想いました。
蒼月光の誕生です。
不思議なもので。自分は今、蒼月光なんだと心のスイッチを切り替えて、パソコンのキーボードを打ち込むと、普段私が具現化していない思いも、オートマティックのように動く指が、きっちりと言葉に変換してくれます。
時に、友人に蒼月の時の君は冷たい、と言われたこともあります(笑)
普段は菩薩スマイルと言われたこともある私が、まるで人格が変わったかの様になるようです。
正直、自分ではあまり自覚がないのですが。
ペンネームをお持ちの方は皆様そうなのでしょうか…?
雑談 ペンネーム について御理伊武
レベッカというバンドを中学校時代に聞いた私は、どっぷりとその歌声にはまりました。
仲の良い友達の年上のお姉さんが、CDアルバムを持っていて、借りてテープに録音して聞いていたのです。
その、レベッカの、曲の1つに、OLIVEという曲があります。歌詞は詳しく掲載できないので、「レベッカ、歌詞、OLIVE」で、興味のある方はお手数をおかけしますが、検索して、みてください。
要約するに、女の子がオリーブと言う名の女友達と家出をする話です。しかし、オリーブは彼と暮らすかもしれない、でも分からない。未来は明るくはないが、何が起こるか分からない。そんな緊張感と、希望が入り交じっている。
そんな歌の題名から、ペンネームにしました。漢字は適当だけれど、御の字だけは、ホラー漫画家の、御茶漬海苔さんの、御だけリスペクトして勝手に使っています。後は本当に意味はなく、良い感じの当て字です。
今、蒼月さんと二人で姉妹として活動していることが、曲とシンクロして、そのうち、シンクロナイズドスイミング!
プールで、両足を高く上げる所までいくかもしれません。
未だにレベッカを繰り返し聞きます。希望に心を揺り動かすのも、過ぎた想いに心が沈むのも歌声ひとつ。私は女性の声に気持ちが揺り動かされてばかりです。