「旅」御理伊武 著
大きなデイバッグを方に掛け、サコッシュの中にはスマートフォンと、最小限の現金と運転免許証と保険証とカードが入ったミニ財布。
ペタンコ靴を履き、身体をなるべく締め付けない衣類を身にまとう。女らしさといえば纏めた髪からみえるうなじくらいか。
旅行が好きな私は旅行の準備なら朝起きて服を詰めて化粧品を詰めて、胃薬と頭痛薬を詰めて、眼鏡も忘れずに入れて、ビニール袋とチョコレートも詰めて、あっという間に世間から逃亡の準備は完了。
さぁ、どこへ行こうか。
もう、若くないから、旅のアバンチュールなんてないよな。誰にも構われず、気は楽だ。おばさんモード全開で最初から向かうのだ。京都に行ってタケノコを買って、わらび餅を食べるもよし、スカイツリーの内部を探索して、頂上に近付くには更に課金してくださいという、田舎者ホイホイを愉しむもよし。
しかし、ちょい待てよ。
私にはトイレが異常に近いという弱点がある。自分探しの旅のはずが、いつもトイレ探しの旅だ。高速に乗ると、パーキングエリアでは必ず、トイレに向かう。止まってはいけない道路の上は本当に恐ろしい。あと160キロ先までトイレがないと言われると、漏らしてはならないという重たいプレッシャーが肩にのしかかる。
電車の場合だって、降りた駅では観光の前に必ず駅のトイレを借り、また乗車の際にもトイレに行く。もしかしたら、トイレにいつもいる女なのだ。もし、手を洗っている時に同じ状況で、二度、会う人がいたら、「また、お会いしましたね」と明るく微笑む自信がある。
それは怖いな。
普段から頻尿という訳ではなく、旅となると、このトイレのタイミングを逃してはならぬと、身体が勝手にシフトチェンジする。一般的に一回の排尿量が200mlくらいらしいので、そこまで溜まるまで、どうか尿意よ鎮まり給え。中年のおばさんが漏らす様子は私だって見たくない。そんな失態を断固、侵してはならないのだ。
私は観光地では場内案内図でまず、トイレの位置を確認する。
街を歩いている時は、だいぶ気が楽だ。あちこちで光るコンビニの青や赤や緑の看板の明かりが、私を「いつでも、ここにいるから大丈夫だよ」と癒してくれる。
妹尾河童さんの「河童が覗いたトイレまんだら」という本がある。文化人のトイレを、詳細なスケッチとインタビューで紹介する本だ。世の中、変わったトイレがあっても良いんだなぁと生き方さえも考えさせられる。
私も、様々なトイレと出会ってきた。
東南アジアを旅していた時に、遺跡でトイレを借りに行った。もちろん多くの外国人観光客が訪れる場所だ。囲いはあるが、穴の上に右足と左足用の木が置かれていた。木の厚さは体重をギリギリ支えられる程度。しかも非常に年季が入っている。一万人達成記念に、バリっと今にも割れそうだ。
私は意を決して板へ乗る、ミシッと軋む。
穴は深い、深くて暗くてその先がどうなっているのかさえ分からない。一枚折れても、運動神経が悪い私はバランスを崩し、その下に落ちる可能性大だ。
私は羽のようになった気分で用を足した。根拠は全くないが、私は軽いと思い込むことで、板にかかる負担を少しでも減らすという作戦だ。それが功を奏したのか無事に生還した。
同じ国なのに街のホテルのトイレに行った時は、その豪華さに驚いた。まず、床も壁も全面ヒンヤリとしたまだらな白い石。
これは、私でも分かる。大理石だ。「宮殿かッ」とツッコミを入れたくなる豪華さ。ふと見るとトイレの洗面台の横に、ご婦人が立っている。優しく微笑みながら空いているトイレを手で示して教えてくれる。サンキューと御礼を言い、トイレに入った。トイレを出るとまた、ご婦人が微笑みながら蛇口を開いて水を出してくれ、手を拭う紙まで手渡してくれた。
これはおそらく親切ではなく有料サービスだ。気付くのが遅いが、ここはホテルだし宮殿だ。相場は分からないが、とりあえず、一番大きな硬貨を渡す。宮殿の利用料金として適切かは分からないが、立ち去り際に私も彼女も、微笑んでいたからこれで良いのだろう。
幼い時に小樽に行った。その時にケーキ屋の店内でレアチーズケーキを食べた。ケーキの味よりも幸せな記憶よりも、覚えているのが、そこのトイレだ。
濃厚な赤いベロアの壁を伝ってトイレのドアを開けると、そこは、だだっ広いお部屋だった。艶やかにニスが光る壁、洗面台の上には大きな兄弟のような鏡。お姫様のトイレとは、まさにこれなのだろうと、少女は確信したのだ。
私はドレスの裾を持って進む。
初めましてマドモアゼル。
アン、ドゥ、トロワ、五歩はかかる終着駅。
今もこのお店は「洋菓子の館 小樽本店」から名前を改め、「館ブランシェ」として実在している。過去を巡りに行こうか。目的はケーキではなくトイレだけれども。
旅に出るたび、私のトイレ遍歴は増えていく。トイレの思い出は誰にも語ることはなく、なんの役にも立たないが、大切に私だけの胸の中にしまってある。
まだ開けたことのない扉の向こうを、開ける。そこに広がるのはどんな景色なのか。
わくわくと同時にそわそわしながら、ドアを開けるのだ。