「夏服」蒼月 光 著
庭の雪がようやく見えなくなって、ほんのりと太陽の光が温かみを感じるようになってきた頃。雀の御一行が、鳥小屋近くのまだ小枝も伸びていないような桜の木に舞い降りてくる。鳥小屋といっても簡素で壁がないそれは、寒さを凌ぐには不十分なのだろうに。厚い冬羽毛をまとってコロコロンと鈴なりに寄り添い休む様を二重窓越しによく見かける。
庭木がいつのまにか枝葉を伸ばし、葉を沢山芽吹かせると共に、徐々に冬毛から換毛期を迎えてスリムになっていく雀御一行様。
チュンチュンチュンチュン朝から冴えわたる太陽の熱気に部屋の窓を開け放つとパタパタ飛び回りながら聞こえるカシマシイ囀り。
夏が来たんだなぁと寝癖の付いた髪を撫でつけながら、濃い碧色になった空を見上げるのは季節変わりの恒例儀式となっている。
秋冬はほぼパンツスタイルの私も、夏はスカートを履く率が高い。
ガーデニングを含む家庭菜園での土いじりや、よく動く場合の時以外は、大体スカートを履いている。ふわんとスカートの裾が揺れるだけで、例えぬるく気怠い空気の重さが有ったとしても、ほんの少し涼しいと感じるのが良い。
要注意なのは、地下鉄の列車がホームに入ってから停車するまでに巻き起こる風。私がマリリンモンローであったらまた違ったかもしれないが、単に他の人に迷惑になるだけなので、裾をしっかり押さえていなければならない。
それにしたって何故あんなに丁度スカートが巻き上がるように風が起こるものなのか。設計する時に風が巻き上がらないような仕組みは作れなかったのだろうか…いや、単純に、自分が列車の出入口付近から少し離れて立って待っていれば良い話で済むのだが。
不便なところも有りつつ、やはりスカート…特にワンピースは良い。
寄せては返す波打ち際で遊ぶ時も、ほんの少し裾を上げたら丁度良い。汗びっしょりで家に帰って、一刻も早くシャワーを浴びたい時も、スポンっとすぐ脱げるのも良い。
つまり面倒くさがりの私にはピッタリの服なのである。
今年は特に藍色のワンピースを無意識によく着ている。
生地は濃い藍色で染められていて、大きく咲いた白い花が数点咲いた柄のワンピースは通販で購入したものだが、稀にみるお気に入りの服となっている。
通販で洋服を購入すると、たまに掲載画像を見て想ったイメージと異なる現物が届き、酷い時には返品騒ぎになることもある中、お気に入りが届くと本当に嬉しくて、飽きるまで着倒してしまうことが多い。
今回の場合、まさにそれが、この藍色ワンピースなのだ。
少し厚めの丈夫な生地で作られているので、ひらりと上に浮くことはないが、強い風が吹くと旗のようにはためく。
これが散歩をしている時には、本当に気持ちが良いもので。両手広げて体全身で風を受けながら空を見ると、飛べるんじゃないかとすら思う瞬間もある。
はためく、といえば。背中あたりでパタパタするセーラーで、翼が生えたような気持ちになった学生時代を思い出す。
自分の等身大の背丈が見えるようになってきた頃。
何になろうかと云うよりも何になれるんだろうと考えがシフトしてきた頃。
空に手を伸ばしたら、やたら雲が低く見えて、でも煌めく星は遠くて。
息が詰まりそうになった時、味方してくれたのは風だった。
息をつきながら坂道を登る度下る度、夏仕様の薄い生地で出来たセーラー服の黒い襟を遊ぶようにはためかせると同時に、しっかりと背中を押してくれた。
土地に護られているというのはあぁいうことを言うのだろうか。
お陰で事故等の大きな災いなく学生時代を過ごすことができたのだから。
ずっと思っていたことが有る。
帰り道、無意識に皆で謳いながら帰ったのは、合唱部の戯言だけではなくて無意識でのお礼だったのだろうかと。
通学路近辺に住んでいる方達から、お宅の高校の生徒が、毎日まいにち数人で謳いながら帰るのが頭に響いて煩いという苦情が来なかったのは何故だろうかと。
思い返すと赤面でしかないが、ほぼ毎日の合唱部の部活帰りは必ず何かしらを謳いながら帰っていた記憶が濃く残っている。ハモリも入れてなかば真剣に謳いすぎていた感が伝わってしまって恐怖すら感じさせてしまったのかもしれないが。
土地神様が聴いて喜んでくれていたと思っていた方が、精神衛生上にも良い。
まさに若気の至り、ただそれだけだと。
扇風機の羽が回る音の前。カバーを起毛生地から麻生地に換えたクッションに寄りかかりながら、スマホに次々届くバーゲンセールの広告メールを見ている。
夏服バーゲン等の言葉が踊るのを、春の終わり頃から見ているような気がする。
東京が日本の季節の子午線になって、TVや雑誌もその通りの季節で番組進行や記事掲載をしているが、地元北海道との季節の差が少なくとも1か月、大きくて2か月くらいはあると思う。
そのズレを見ない振りでそのまま適用させてバーゲンにしてしまうから、まだ夏にもなっていない時期からの夏服バーゲンセールとなっている状況といったところだろうか。
今年着られる服を安く買えると思ったら悪くはない話か。
それに近年は、北海道でも5月の気温が30℃を超すような異常気象が頻発している。
私が子供の頃は7月8月でも30℃を超すのは数日だったように覚えているのだが。
地球に、本当は何が起きているんだろう。
熱中症になって以来、家の中でも持ち歩くようになったサーモス仕様の水筒を、とおく見つめる。