八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「映画」高柳 龍 著

「映画古譚」                                              

 1961年、滝川の小学校に入学した。テレビが映像の主役ではなかった時代、年に数度、母に連れて行ってもらう映画館は「娯楽の殿堂」だった。

 

 照明が落ちるやブザーが鳴り響く。身構えるのと同時に心拍が始まる。両側の「非常口」の赤灯と大スクリーン以外は闇に包まれ自ずと正面に全神経が向かう。モノトーンのニュースは、なぜか転倒した数字のカウントダウンから始まった。

 

 その日見た「コブラ仮面」の形相の何と恐かったこと。この日ばかりは映画館の暗さを恨みながらもう溜まらず、前にある椅子の背と背の隙間から覗いたり目を瞑ったりした。『月光仮面』シリーズの、タイトルは思い出せぬが最強のヒールだった。幼心に衝撃的に刻まれたこの悪玉を倒したのは、白装束にサングラスの正義の小父さんだったのである。

 

 映画との出会いは、ディズニー映画だったかも知れない。『白雪姫』『シンデレラ』『ピーターパン』『眠れる森の美女』と全て観た。『サウンド・オブ・ミュージック』『メリーポピンズ』『チキチキバンバン』も。邦画のアニメも同様、『西遊記』『白蛇伝』『猿飛佐助』等。己の生きる境遇を遥かに越えて世界が広がった。

 

 映画を趣味の一つと言えた時期は、その後1980年くらいまで続いた。テレビッ子を自認していた小学校高学年から中学生にかけても、映画はやはりテレビとは異なる本格的なものと認識していた。迫力ある画面と音響が収斂する世界に観客は引き込まれ、その絶対時空間のみで移ろう映画は、息継ぐ間もない感動と永続する余韻を醸し、誰に言われるわけもなく鑑賞文に結晶化したものだ。

 

 定番の「007シリーズ」や「寅さんシリーズ」も一本残さず観て来たし、高校からは古い映画にまで食指を伸ばし、函館の「名画座」だったかに何度も足を運んだし、大学時代も東京のそれらしい映画館に出かけたものだ。チャップリン黒澤明の名作は勿論、『自転車泥棒』『駅馬車』『禁じられた遊び』『風と共に去りぬ』『明日に向って撃て』やチャールトン・ヘストン主演の『ベンハー』『十戒』にも心躍らせた。毛色の違うところでは任侠物にも夢中になり高倉健鶴田浩二のファンになった。

 

 妻になる人が映画館の暗さや匂いを好まず(昔はなぜか煙草の匂いがしたり湿っぽくもあった為)、止む無く暫し遠のいたものの、子供が幼稚園に入った頃から付き合いで観に行くようになった。「ドラえもんシリーズ」や「ドラゴンボール」、宮崎駿の作品などで大きな感動を得た。「スラム・ダンク」では終了後、涙が止まらず照明が点いても顔を覆って子供たちを待たせたこともある。

 

 映画における感動、それに匹敵するのは総合芸術と言われる演劇だろうか。芸術・芸能・文学はスポーツと共に人間にとって必須な文化ジャンルである。よほど絞らねば幾ら紙数があっても足りぬだろうから、最後に、自分史においてこれぞと思う2本を取り上げ語らせて頂く。当然のように多感であり自己形成の期だった高校生の時に観たものになった。

 

 『影の車』、これはロードショーで独りで観に行った(1970年)。松本清張原作。好きな俳優の加藤剛が妻子ある誠実で平凡なサラリーマンを演ずる。男は通勤バスで6歳の男の子を持つシングルマザー(演者、岩下志麻)と出会う。二人は中学の同級生だった。直ぐに打ち解け、日頃妻とのずれを強く感じていた男は惹かれて通い始める。二人の愛が燃えるにつれ女の息子が懐かぬばかりか、そのうち殺意を抱いているのではとの恐怖を抱き始める。次々と不可解で恐ろしい出来事が起こる。也夕の「幽霊の正体見たり枯れ尾」ではないが、子供の一挙一動が怖くなる。終盤、その子が手に鉈を持っていたのを見て、恐怖のあまり飛び掛かって首を締めてしまう。一命は取り留めたが、検挙された男はその子に殺意があったと縷々訴える。が、刑事は相手にしない。追い込まれた男はついに自らが幼児の時母親の愛人を殺害したことを告白してしまうのだった。人間の心の怖さを思い知った作品だった。『チャイルド・プレイ』など問題にならぬほど怖かった。

 

 『ポセイドン・アドベンチャー』、これもロードショーで(1969年)。米国から希臘に向かう豪華客船ポセイドン号が大津波で転覆する。大勢の客が亡くなり未だ生きている者も孰れは沈没して死ぬとの悲惨な中で、生き残った者達が頼れる者を認めてはその指示によって危険の続く船内を各々移動する。幸運にも残った集団のリーダーは牧師だった。彼は船底に昇る道を提言し、僅かとなった生存者を引き連れ困難に立ち向かって行くが、その経過のうちにも何人も死んでいく。最後に至ってもまた絶望に陥った時、牧師は叫んだ。かくも生きんと努力して来た人間をなぜ神は救わぬのか、と。そうして仲間を救う為に命を捧げ死んで行った。努力の虚しさ・美しさと運命について考えさせられた。

 

 尚、『風とともに去りぬ』は女子の多い文芸部であることもあって、旭川でも札幌でも一緒に行って感想文を皆で書いた思い出がある。

 

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