八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「絵」蒼月 光 著

平日の昼間。
霧雨の注ぐ音が聞こえそうなほど静まり返った美術館で、絵画を観ていた。

森林展とされただけあって、木や林や森が額縁一杯に描かれた絵ばかりが展示された館内。コンクリートの壁、徹底した温度湿度の調整。人工物で囲まれた部屋にいるはずなのに、いつしか本当に森林浴をしている心持ちになっていた。

 

靴音響かせる度、印象派よりの筆先が描いた重なる葉から零れる光が揺らいで。

大きな木を見上げて立ち止まっては、木部樹液が流れる音が聞こえないかと耳を澄まして。いつのまにか森林浴をした時のように呼吸が深くなっている自分に気が付く。

自分の足音を忘れていく内に、絵画たちに取り込まれたようだ。

 

 

私は巧く絵を描くことができない。

よくフリーハンドで真円を描ける人は絵が巧いというが、まさに、私は円が描けない部類に入る。ぐーるん、と円を描くと何処かしらが歪になってしまうから仕方ない。

けれど、絵画を観るのはなんとも好きだ。芸術の森美術館や近代美術館、それにたまたま行ったフリースペースで展示をしていたら思わず入ってしまうほどには。

 

学生時代は、宗教画や人物画によく目を奪われた。
現代であったら素人でも簡単に画像加工ができるが、まだ写真すら時代、神や天使や悪魔等の目に見えない存在を具現化し、宗教の教えを絵で伝えるという手法は一体どれほどの効果があったのだろう。

ルネッサンス期から時代がおりて、絵画が庶民のものとなった時に登場してくる名もなき市井の人達の日常の姿がモデルの絵となっても「サマ」になっているのは何故だろう。

 

額縁の前に立っては、カタチをしたモノ達へ語り掛けるように視線を合わせる。

何かを答えてくれるわけもないが、背景や隅に転がっているだけにみえる小物たちが言葉の代わりに何かを教えてくれようとする。

埃が射し込む光に照らされて煌めくように、価値があるものと認められ後世にまで残る絵画は時代を易々と越えて、文字ではない表現で多くを伝えてくる。

解説を読んで答え合わせをするのも良いが、何が正解か分からないものがあるのも、また、良い。

 

ただ一つだけ言えるのは、絵描きは無駄な物はキャンパスに入れることはないということ。この当たり前のことに自分で気付くまで、割と時間が掛かってしまったのは、やはり自分には絵の才能はないということなのだろう。

 

そんな私にも小学生の時、写生会があった。

学校敷地内の木や近所の土手からの景色…学年ごとに色々な場所に行ったのを覚えている。その中でも特に円山動物園に行った記憶が特に鮮明に残っている。

はてさて皆で並んで遠足のように行ったのか…その道程は忘れてしまったが、普段家族でお弁当を持って行く時とは違った緊張感で、動物たちと向き合っていたのは覚えている。

 

当時の動物園は旭山動物園のように動物が活発に動く様子が見られる展示方法ではなく、檻の中、ただ気怠い日差しを浴びて寝そべるか、御飯をモグモグ食べている動物たちばかりがそこに居た。

同級生達が描く対象としての人気動物は、象にキリンにライオン…といったあたりだったか。けれど、どうにも私には寝ぼけたようにいる彼らの姿を描く気持ちが湧かなかった。動かない彼らは格好のモデルでは有ったのだが、すでに座り込み、描く体勢に入った大勢の同級生達の様子や、その向かいにいる無造作スタイルの彼らを観ると、どうしても筆を進ませることができなかったのだ。

 

大きな画板を持って順番に動物たちの退屈そうな欠伸を観ながら歩き、檻の並びが終わった所で、ようやく描きたいと思える存在に出会えた。

 

人工池の中で、ピンク色の羽毛をワサワサと動かしながら群れる、フラミンゴだ。

 

緑が深い季節に自然界の中では派手な衣装を身にまとう片足立ちの彼らは、鳥類独特の無表情さで時が流れるままを過ごしていた。

その様子を観た私は、凝る濃い水の匂いに鼻をスンとした後、芝生の上に座り、肩に掛けていた画板を首から下げて用紙をセットした。

 

嘴の先を黒く染めた後は淡桃色の曲線をあまり動かしもせず、片足で立ち止まり続ける彼らは、被写体としては描きやすかった。

いよいよ私は不器用に鉛筆を持つ。

周りの音が無音になって、対象の君と一対一。

大きく輪郭を描いてから、羽の先に視線を移し、なるべく同じになるように白い紙に切り張っていく。なるべく水晶体で吸い取った風景のままを。

 

結局、ポンと肩を叩かれて、お昼だよーと友人が教えてくれるまでピンと張った糸で、彼らと繋がっていた。もう少しで感情が交差するかと思えるほどに。

確か、その日は大雑把な景色の描写だけで一日が終わって、後日、学校で絵の具を使い彩を染めていったと記憶している。

 

緑に覆われた中、波紋の浮かぶ水色の池でピンク色の鳥たちが佇む姿。

描いた絵を観ては、綺麗なピンクのフラミンゴだねー!と言ってくれる人と、なんでフラミンゴにしたの?と疑問も投げかけてくる人が五分五分くらいの割合だった。

後者の人には、なんとなく、としか言えなかったが、絵が巧くない私なりに、それなりの世界が描けたのではないかと自己満足出来た絵だったように覚えている。

 

円山動物園も様々な施設が新設されたりして、私が子供の頃とは大分、様変わりをしていると聞く。今度、天気の良い日に散歩がてら出かけたいと思う。

便利すぎるスマホを握りしめて、あの時観た風景と同じかどうかを確かめに。

 

 

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