八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「本」蒼月 光 著

私はベッドサイドにお気に入りの詩集を置いている。

眠れない夜と目覚めの悪い朝のお供に。

もう何度も何度も読み返して紙も変色した文庫本ばかりだから、うっすら言葉も覚えてさえいるのに、読む時の心境で意味が変わるから不思議なものだ。

 

例えば、同じ詩であっても、孤独の寂しさを滔々と述べているのかと思った次の日に読むと、孤独の自由を謳歌していると自慢気な気分さえ伝わってくる…といった具合に。

だから、朝に詩集を読むと、その日の自分の調子がちょっと分かる。

喜怒哀楽メーターのどのメモリを強く感じるかで、今日はちょっと過敏になってるかな、今日はシャカシャカ走れそうだ、とか。

逆に夜に読むと、その日の充実感が分かる。一日にあったことよりも遠くの想い出を思い出すなら、その日は頑張った日、もしくはシンドくて疲れた日といったように。

 

詩は短い言葉の中に濃縮した世界を閉じ込めるから、時に意味が読み解けない記号のようなものも有る。書いた本人ですら本当の意味を理解できないまま、語感のリズムで浮かんだ言葉も中にはあるのかもしれない。

そんな正解のない文字列を自分の実体験に準えて、自分しか持っていない辞書片手に鼻歌を歌うように解いていくのも、また楽しい。言葉を知らない幼児が、それでもご機嫌な顔で何かを歌っている時と似ている面白さがある。

 

一人で何処かに出かけて行くときも、短篇小説を鞄に忍ばせていくことが多い。
携帯用のお化粧ポーチが小さいから、その分のバッグの余裕を埋めている形だ。

人込みに紛れるとひどく疲れを感じる質なので、休憩によくカフェやファストフード店を利用する。いつも選ぶは窓際の席。右に左に流れる人の群れを水族館の魚を鑑賞するようにしながらお茶を飲み。ちょっと落ち着いたら、おもむろにバックから本を取り出す。

 

最近のお気に入りは、又吉直樹氏とせきしろ氏が著作の「カキフライがなかったら来なかった」。御理伊武に勧められた、エッセイと呟きのような詩が載った本なのだが、とにかく面白い。

二人の作者の個性は全く違うのに、一つの本の中でお互いを主張しあうことなく、絶妙な力量で二人の個性が共存しているのが読んでいて心地良い。

おまけにエッセイも超短編で、1篇数ページほどしかないものだから、いつでも区切りの良いところで栞を挟むことが出来るのも良い。

 

私事になるが、今年初めて八味姉妹としての本を作成した。
文学フリマという全国を廻るイベントの札幌会場で販売するのが目的だった。

本来ならば、本がありきのイベント参加ということになるのだろうが。好奇心旺盛で記憶や思い出に残ることがしたいと切に願っていた私達のこと。あまり先を考えずに文学フリマのサイトで出店希望のボタンを押したら、抽選の結果、受かることとなり、出店するに至ったのである。
さぁ、そこからの時間の濃ゆかったこと。

 

そもそも本を作ること。高校の文芸同好会以来としては、まだ八味姉妹と名付ける数年前に一度だけ、本当に趣味の範囲でホチキス本を御理伊武と作成して周りの人に配って悦に入って以来の初めての、本。

印刷所に印刷や製本を依頼するのも初めてならば、1冊の本としての構成を手掛けるのも初めての体験。潤沢な資金があるのならば印刷所にいるその道のプロの方に丸投げにして、願望そのままを伝えて、理想通りのモノを創って貰うの手もあったろうが、そうもいかない懐具合なものだから。現実的なやりくりをしながらの試行錯誤。

 

結果的に、それが良かったと今なら思える。

編集長役を務めてくれた相方の御理伊武には恐縮されっぱなしだったけれど、本当に充実した苦しくも愉しいモノヅクリの時間だったから。

 

どんな風にしたら、読んで貰えるだろうか。

どんな風にしたら、読みやすいだろうか。

 

共感して頂いたり、言葉遣いが甘いと鼻で笑われたり…良くも悪くもそういったことを思われるには、読んで貰えることが当たり前の第一前提で。

 

PCモニターの明かりを浴びながら一人でただ考えていても何も浮かばず。自然と本屋に足が向いた。そもそも本屋に行く回数は並の人以上だとは自負しているが、あの時期はおそらく店員さんがいぶかしむ程には本屋に通ったと思う。

 

表紙から本のサイズに始まって、文字の置き方・構成方法…目についた本を隅々まで立ち読みしては、お店の中心で「へぇ」を唇から先に出ないように気を付けながら連呼していた。この年齢まで読書を趣味と公言してきた私だったが、本の成り立ちにまで気を回したことはなかったのに初めて気付いたのだ。

 

結果、紙の質にまで目が届き、手漉きの紙で表紙を作ることができたら…とまで夢想し、某アイドルグループがカレーを作るのに土や種を選ぶところから始まるコーナーに妙に共感するところまで行き着く始末。その度、御理伊武編集長に否定されることはないものの、いつの間にかやんわりと現実に戻されることをくり返し、着々と本づくりを進めることが出来たのである。

 

表紙を「赤」にしようと言ったのは御理伊武の案。「八味姉妹」の名前の由来の一味と七味唐辛子の色に掛けたのと、とにかく目立とうとしたのが理由。

結果、それが全てで、それが良かった。

初めてにしては、胸の張れるモノが出来たと、季節が変わった今でも思えるから。

 

色々な方に見て貰えたらと思いながら、流通の方法を模索中な現在。売り手も買い手も手軽に出来る方法が有ればと、段ボールに潜んでいる在庫達とにらめっこで悩んでいるのは、また別の話。

 

初めて本を作っただけのちっぽけな存在ながらも。いつも触れてきた本の仕組みやどれだけの人の手を経て、自分の家の本棚に並んでいるのかを考えるにも良い機会になったのは間違いない。

 

最近は、手軽な電子書式が流行りだけれど。

やはり、私は紙媒体でないと、と思ってしまう。

手に感じる一冊の本の重み。

一ページ目を開く時と最後のページを閉じた時に受ける微かな空気の動きに同調する心臓の鼓動。

本の楽しみ方は、読むことだけではないというのは、ニッチ過ぎる考え方だろうか。

 

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