八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「青」 御理伊武 著

私の中の青は記憶の奥に埋もれている。

時々思い出したくてズリズリと引き出してはみるものの、

所々綻び完璧な元の姿とは言えない。
その青の色を求める度、私のお腹の下はむず痒くなり、

今見ている世界の色が本当なのか、
あやふやになった記憶の中にある色が本物なのか分からなくなる。

私の見ているグラスの水面の色。

メールが来たことを知らせるLEDの点滅。

シンデレラ姫のドレス。カルピスの水玉模様。

頭上に広がる空。

そして微かに線が引かれて空気と触れ合いその先は見えない海。

きれいな青に出会う度 海の色が浮かぶ。

私の記憶の一番底に沈んだ暗い夜の海。

青のインクで塗りつぶされた、暗い夜の海。

その青は、かつて幼い頃に読んだ漫画で見た

西岸良平氏作の「三丁目の夕日」だ。

何よりも本が好きだった私は何度も読み返し

話の主人公と同時に想像の中で旅をした。


核家族、少年の目で書かれた家族旅行。

海へ家族で旅行へ出掛けるのだが、それは無理心中の前の

せめての贅沢旅行なのだ。

主人公の少年は純粋に喜び、両親は無理に笑いながら

死のうとする前の、今、この時を生きている。

 

痛々しい程の現実が、昔の私と重なる。
毎晩喧嘩が絶えず怒濤と共に包丁の引き出しを開け閉めする両親が

急に旅行に行こうと言う。

死ぬときは子供も道連れという会話を365日。

包丁を振りかざし、床やテーブルに刺さる音を聞いていた私は

漫画の影響もあり、今日、死ぬかも知れぬ旅に意を決して、

残すもの何もないけれどせめて部屋はきれいに片付けて

そして喜んでいるふりをして出掛けた。


漫画から伝わったインクが滲んだ海の色が私の中に広がる。

毎日、明日が来ないのが当たり前の毎日だったから、

もう二度と見ることができない光景を目に焼き付くように、

バスの窓からひたすら海の波の縁の色を見つめていた。


夏の日差しを吸い込んだ海は、体液に近い温度で優しく温かい。
その先に進めば、徐々に、海の本当の姿が見えてくる。

進む度、足がすくわれ、やっとのことで水面に出ても

呼吸を奪わる。

しかし光が反射した美しさに惹かれ、水着とサンダルを新調して

海へ出掛けたくなる。
何処かに行こうかと言われると、私は、海に行きたいと答えた。

札幌市内から1時間も掛からずに海に近付く。
トンネルを抜け、晴れ渡った水色の空の下に広がる海は深い青。
若さだけが武器だった私は歓声を上げてはしゃぐ。

砂に足元を取られ上手く歩けず、でも裸足になる勇気は出せず、

ようやく波打ち際まで辿り着く頃には空が赤くなり、私の知っている海になる。


その度に美しかった青は瞼をぎゅっと閉じて、目を背けたい色になる。
今なら、手元で海の色を記録できる。
私の記憶の中の青い海の本当の色を知ることも出来るのに。

一枚の写真も残っていない。


あの「三丁目の夕日」の家族は生きることを選び、私も運良く生き残った。
芝生の上にシートを広げる。

天上の青の中に溶けていきそうになりそうになりながら。
今、ふいにあおさが足下に絡みつく海を思い出す。

薄い青が続く。

海藻が張り付いたぬるい海の中を歩く。
波もなく地上に近い海の青。
手をつなぐ。

足下がすくわれないように。
目に前には青い海。

真っ白な画用紙に描く。


そこには何色の青が浮かぶのだろう。


「青がない」と言われ、絵の具を買い行く。

今、見ている青が、美しい青でありますようにと。

ただ、青と書かれた一色の絵の具を買う。

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地球岬