八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

第六回文学フリマ札幌 お疲れ様でした

愉しい時間はあっと言う間というけれど。
本当に夢のような時間を過ごさせて頂きました。

2021年10月3日 文学フリマ札幌
このようなご時世にも関わらず

お越しいただいたお客様
素敵な舞台を作製してくださった

スタッフの皆さん

開始と終了の拍手を共にした

出店者の皆さん

本当にありがとうございました。

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八味姉妹2021店構え

正直、どんな雰囲気になるのかなと不安も強かったのですが。
お客様も出店者の方も、とにかくアットホームな感じで
あっと言う間の4時間でした。


初めてお会いするのに、

「文字が好き」という共通項だけで色々話せてしまうモノなのだなと
しみじみ思ったり。
遠方から来札されている方の熱意に此方も燻ぶるものを感じたり。

高齢のご夫婦や若い女の子や社会人の男性や…。
まさに老若男女問わず、自分たちの作成したものに目を向けて貰える
幸せたるや、とても代えがたいもので有りました。

「Cloudy Lapine」さん、素敵な袴姿でした。
本当は浴衣とか着ていきたいと話している私達です。
作品集の購入有難うございました。少しでも楽しんで貰えたら幸いです。
「努力のスプーン」これから読みますね。

「雨とランプ」さん、実はずっと行きたいと思っておりまして。
髪を切りに行く場所は決まっているのでナカナカ足が遠く。
音楽も好きなので…憧れのお店となっています。

「ひだりききクラブとせきしろ」さん

お名前を聞きそびれてしまった素敵なお姉さん。
自由律俳句のジャンル、徐々にキてると思います(笑)
もっと色々お話したかったなぁ。

そして、せきしろ先生、思わず、呼び捨てにしてしまい
本当に申し訳在りませんでした。

正直、カタログを余りみていなかったので
著名な方がいるのを知らず、本当にびっくりしてしまいました。

幾冊か、本を購入してるくらいに好きです。
公募ガイドも見てます。
サインをもらうという下心が消えるくらい驚きました。
また来てください。
今度はちゃんと相方をつれて挨拶しに行きます。


前回の文学フリマ札幌でお知り合いになれた「トカチノ草紙屋」さん
(勝手に十勝のお姉さんと呼ばせて頂いてます)と
また逢えたのが嬉しかったなァ。
顔を覚えていてくれたのが、また、本当に嬉しくてうれしくて。
隣の隣のブースというのが前回と同じで。
変わらない優しい素敵な笑顔、また逢いたいです。


正直、八味姉妹、ほぼ1週間で仕上げたといっても過言ではない
無謀なことをしていて(新刊が届いたのが前日などなど)
色々作戦を練りたかったなぁと反省。
次回も出店したいと今から色々思案中です。


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文学フリマ札幌2021ホワイトボード

スタッフさんが描いていたホワイトボード、
愛を感じます。
何人かのスタッフさんともお話しできたのも嬉しかったなぁ。
東京からお越しのスタッフさん、支笏湖楽しめたようで良かったです。
本当にもう少し後なら、紅葉が美しい場所なのですが。
せめて何か美味しい物でも食べられていたらいいな。

スタッフさんあってのあの時間。
本当に有難うございました。

                                (蒼月 光)

文学フリマ 第六回札幌に出店します

お久しぶりにございます。

八味姉妹、久々の活動再開にてご案内申し上げます。

明日、10/3(日)開催の文学フリマ第六回札幌に出店致します。
場所は北海道自治労会館(4階、5階)を利用しての開催となっております。

こんなご時世ですから、気軽に「おいでませ」と言えないのが
なんとも歯がゆくも感じます。

けれど、もしもお時間が有りましたら

散歩の延長上にでも寄って頂けましたら光栄にございます。

開催スタッフさん渾身の感染対策をもってお待ちしております。


開催時間 12:00から16:00
場所   北海道自治労会館(4階、5階)

     札幌市北区北6条西7丁目5-3

【感染対策としての注意事項】
 ご来場される方につきましては
 ご入場時に
 スマホでのCOCOA接触確認アプリ)の提示
 もしくは
 連絡先の記載された名刺(名前と電話番号もしくはメールアドレス)等の提出
 開催スタッフさんに求められますので、ご用意のほど宜しくお願い致します。

 

 

さっぽろ市民文芸に応募した結果が届きました

ごぶさたしてます。

気づけば秋も終わり雪降る季節。

数々のお祭りや、文学フリマの開催や...人が集まることの自粛で、今年はまさに「新しい生活様式」に戸惑うばかりでしたね。

私個人としてはリモートができる職種についていないため、感染対策にピリピリする毎日に疲れが…。

かといって、友人達と逢って会食も気が引けて。

ストレス発散の場がなかなか見いだせず。息苦しい毎日、早く元に戻りますように。

 

 

そんな中、今年も「さっぽろ市民文芸2020」に応募した作品が「佳作」を頂きました。

選考委員の皆様、本当にありがとうございました。ご批評に掛かれていたことは素直に受け止めて、来年もがんばります❗


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さっぽろ市民文芸2020 37号

札幌市内の紀伊國屋書店、札幌弘栄堂書店アピア店、コーチャンフォー三省堂書店札幌店、ジュンク堂書店、北海道文学館、教育文化会館1階プレイガイドにて販売中。

老若男女、さまざまな年齢の方が文学を探求している素敵な一冊です。
興味がある方は是非、手に取って読んでみてくださいませ(蒼月)

 

 

 

 

さっぽろ市民文芸にて「優秀賞」を頂きました!

厳正な審査の結果に受賞された作品は「さっぽろ市民文芸」という本に掲載される企画に応募した結果。

2019年発行の第36号「さっぽろ市民文芸」
詩部門
タイトル「廻るあいでんてぃてぃ」
「優秀賞」を受賞させて頂きました。

初めて応募したというのに有難い賞を頂くこととなり、今回、授賞式に参加して参りました。
蒼月光の名前で応募はしたものの。赤ペン先生をしてくれたり、半ば送付を諦めていた(丁度、文学フリマの準備期間と重なり時間がとれなかったのもあって)背中を突き出す勢いで押してくれた、相棒の御理伊武がいなきゃ受賞できなかった作品でもあったので、八味姉妹の二人で。

久々に向かった教育文化会館。かつて学生時代に合唱部としてステージに立った思い出の場所で、まさか自分の創作作品の授賞式を行われるとは思いもしないことでした。

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受付をするにも本名ではなくペンネームで取り交わす世界。
この感覚はいつ以来だろうとこの時点で感銘を受けながら会場の中の席に着きました。

順番に名を呼ばれ、応募した作品のタイトルと自分の名を呼ばれた時の、鳥肌が立つ感じは、忘れられないものになりそうです。

なにせ自分の創作作品がこうやって世に認められたのは生まれて初めての体験。
事前に封書にて受賞のお知らせを頂いてはいましたが、今一つパッとこず。
授賞式を体感して、初めて「あぁ、本当に受賞できたんだ」とようやく実感できた次第で。

授賞式が終わり、部門に分かれての懇親会にて、選考委員の先生からの賞状の贈呈や論評会は、夢にいるようなフワついた感じでした。
否定的なことを言われることも無く、恐縮してしまうほど高評価を頂き、本当に純粋に嬉しかったです。

ずっと隣にいてくれる御理伊武は、終始ニコニコしていて。
なんだかそれだけでも、正直、幸せな気分でした。

想定外だったのは、自分の作品を音読したことくらい(笑)
まさか読むことになるとは思わず、緊張のあまりツッカエたりしてしまったけれど、改めて胸がいっぱいにもなりました。
私の文芸人生の原点、高校時代の文芸同好会を思い出したりもして。
机をロの字の陣形に並べて、お互いの作品を講評し合うのは、あの当時そのままの様相で。
あの講評会のやり方を教えてくれた当時の顧問の先生を呼びたいくらいでした。

式の中で開催された澤田展人氏の「深沢七郎 『笛吹川』を読む」という講演会の中で、「個人の能力はその個人の所有物なのか?」という問いが出てきましたが、私はそうは思わない方に一票です。
産まれてからその作品を創り出すまで、一人で生きてきたという人がいるなら別かもしれませんが、どうしたって周りの人や環境の影響を受けて、年を経ていくのが人だから。
今回の受賞も、今まで接してくれた皆さんのお陰だと身に染みて想っています。
私を知ってくれている全ての人への感謝と、これからもどうぞお見知りおきをば。

八味姉妹 蒼月光


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因みに「さっぽろ市民文芸36号」は札幌市内の紀伊国屋書店・弘栄堂書店・コーチャンフォー三省堂書店札幌店・ジュンク堂書店・北海道文学館・教育文化会館1階プレイガイドで販売中。
もし見つけたら、手に取って見てみて貰えたら幸いにございます。




小説「カレーライス」 御理伊武 著

最後の夕食をカレーライスにしようと言ったのは私と彼とのどちらからでもなく、冷蔵庫に玉葱とにんじんの切れ端とすっかりやわらかくなってしまったじゃがいも、冷凍庫に残った一握りの細切れ肉があったからだ。

 

 同棲していたアパートの一室から私は出て行く。私が買いそろえたものは全て、先の住まいに送ってしまっていて、後はショルダーバックに収まる分の荷物しかない。

 台所の戸棚の奥には、いつ買ったのか分からないバーモンドカレー中辛の箱が残されていた。賞味期限は三ヶ月過ぎていたが、おそらく問題なく食べられるだろう。

 彼と二人で暮らしていたのに、この部屋では料理はほとんどしなかった。お互いに仕事で忙しく、夕食も会社の中で食べたり、コンビニのお総菜を買ってすませたり、たまに料理をするのは日曜やお互いの休みがあった日に気まぐれでするくらいだったので、冷蔵庫の中はビールや飲み物くらいでほぼ空だった。

 

「最後の日くらいは、高級フレンチとか、焼き肉とかでも良かったのに。」

と、彼が女々しいことを言って、

「残っている野菜を無駄にしたくないから」

と私が答える。

会話が重視されるフレンチに行って、料理の合間に愛を語ることもないのに。ワインばかり進んで、なんのお祝いもない状況で酔っぱらってどうすればよいのか。焼肉にしても。途中で、なんでこの人と肉を焼いているのだろうと。遺伝子を残す予定が全くない今、原始人から受け継がれたDNAがMUDAと言うだろう。

 

その言葉には、もうあなたについて一銭も無駄金を使いたくないという裏の意味もあるのだけれど。

 

 別れることになった原因はお互いにあった。彼は自他共に認めるモテ男でその上、来る者拒まずの優しい性格なので、私以外にも中高生から大正生まれの女子まで、幅広く好かれていた。

 彼はヒヨコドラックで薬剤師をしており、地元では若くて優しい優男であった。そこで、同年代の女性と、親密な身体的な相談を受けた上で、もっと親密な密着した仲になっても、まあ、その場限りで成り行き上行くしかなければ致し方ないというのが、恋人であった私の広い心の上での見解だ。住んでいる街には、パチンコ屋と、スナック、後は海くらいか。遊ぶ場所がないから、人に依存するのは仕方ないと思った。

 私が浮気についても見て見ぬふりをし、彼が二股三股をしてもそれを咎めずにいたので、それがいつまでも続くと彼は思っていたのだろう。

 

 そんなある日、彼の車のダッシュボードから、分厚い封筒を発見した。 

 昔、八百屋を営んでおり、今は未亡人となった奥山のおばあちゃんからの何十枚にも渡る恋文だ。情緒に溢れ熱を帯びた文章で、何十枚に渡って書き綴られている。私の理解を超えた関係に二人はいることが分かった。

 彼はおそらく、ヒヨコドラックの薬剤師として小さな町で安泰で色多き人生を歩んでいくのだろう。私は職場から電車で1時間かかるこの場所にいる必要はないのだ。私が次に住む場所は、木造だけれど、目の前に公園があって、春になれば桜が咲くらしい。

 

 彼を必要としている人がいる。

 

 私はふらふらとしたこの人と一緒にいて、どうなるのか分からなくなる前に、自ら逃げたのだ。

 「カレーっていうとさ、小学校の時に炊事遠足に行って作らなかった?」 

 「作ったよ、飯ごうのお米は焦げ焦げで、カレーはジャバジャバ水っぽいの。」

 「美味しかった?」

 彼は聞く。

 「無理矢理食べたよ。それしかないし。」

 「俺は、カレーも焦げてて、焦げがまだらに浮いてるからさ、米だけ食べたよ。」

 「初心者のキャンプってそんなものだよね。ところでさ、玉葱、どうする? めちゃくちゃ刻む?」

 私は、狭い台所に並ぶ彼に聞く。

 「全部刻んだらファミレスとか給食風かな。大きめに切ろうか。」

 「じゃあ、おねがい。私は米取ってくるわ。」

 家のお米はなぜか、玄関横の物置の中にある。冷暗所といえばここしかないからなのだが。

二合分をプラケースで取り、少しだけ追加する。カレーのお米は、これで水量を二合に合わせるとしゃっきりとしたカレーや寿司飯に合う炊き加減になる。

 取ってきたお米を洗い炊飯器にセットする。

 だぶん、ここで彼と暮らすことはなくなっても、同じメーカーの炊飯器を買えば、

おそらく、同じ炊きあがりのメロディを聴くのだろう。

 その間、彼は玉葱とお肉を炒め始めたところだった。私はにんじんとジャガイモも切り彼に渡す。鍋も調理道具も、付き合い始めて間もない頃に二人で買いそろえたものだ。

 その彼のつやつやの頬におそらく、最後のキスをして。

 一瞬の間の後にキスを返される。

 奥山のおばあちゃんの顔が一瞬よぎるが、彼はケトルで沸かしたお湯を多めに鍋に注いで、後はIHの熱に任せて煮えれば良いだけにする。

 

 「カレーの他になんかいる? ビールしかないからさ」

 「サラダと、アイス。せっかくだからハーゲンダッツのクッキーアンドクリーム。」

  それじゃあ、買ってくるよと、服を着始める彼を私は、じゃあ、火加減見てる、と言って、送り出す。

 

 炊飯器の炊きあがりの音楽を半分眠りながら聴いて。

全てくたくたに煮えた頃、私はIHの電源を切る。お米は炊きあがってから2hの表示になっていた。カレールーをドボンと入れる。ゆるく固形の茶色が滲んでいく。

 テーブルの上には二つのグラスとスプーン。色違いの箸。カレーが来るのを待っている白いカレー用のお皿。それも、もう何年も前に二人で買ったものだ。

 

 私の座る側に鍵を置いておいた。

 彼はクッキーアンドクリームを何事もなかったような顔で買ってくると思うのだ。近くのコンビニになかったから、イオンまで行ったよなんて言いながら。

 そんなことが何度もあったから、心配はしない。

 悪気はなさそうな顔をするから、悪気はないんだよね、そんなところが天然だものねと、私も深く問い詰めないでいたのだ。

バックを持ち、もう、何も忘れ物がないことを確認して、部屋を出る。

鍵は開けたままだ。

家を出たことをLINEしようかと思ったが、既読になりそのまま返信がないのも、返信があればその返事を返すのも、面倒だった。それに、きっぱりと断とうとした思いが、なにかの拍子にぐらついてしまうようで怖かった。

 

玉葱と肉を炒めた空気が鼻の奥に残っている。

日はすっかり暮れ、秋の夜の空気は冷たい。私はゆっくりと深呼吸して、カレーになる筈だった物の気配を追い出そうとしている。

彼は帰って来たら鍋の火を点けるのだろうか。カチカチともボオッともいわず、ピットいう電子音とともに鍋が熱されて、煮えすぎた具材がカレールーが溶けるよりも早く崩れ始める。木べらで混ぜていくうちに形も何もかも姿をとどめずに。焦がすわけにはいかないのでぐるぐるとかき混ぜる。その手は彼の手だ。その指も手のひらも私は、そのうち忘れてしまうのだろう。

どこからともなくカレーの匂いが漂ってきて、幸せな家庭を想像する。

私はそのまま通り過ぎて、もう来ることはないこの街と風景を記憶に刻みながら、駅まで歩いていく。


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「本」蒼月 光 著

私はベッドサイドにお気に入りの詩集を置いている。

眠れない夜と目覚めの悪い朝のお供に。

もう何度も何度も読み返して紙も変色した文庫本ばかりだから、うっすら言葉も覚えてさえいるのに、読む時の心境で意味が変わるから不思議なものだ。

 

例えば、同じ詩であっても、孤独の寂しさを滔々と述べているのかと思った次の日に読むと、孤独の自由を謳歌していると自慢気な気分さえ伝わってくる…といった具合に。

だから、朝に詩集を読むと、その日の自分の調子がちょっと分かる。

喜怒哀楽メーターのどのメモリを強く感じるかで、今日はちょっと過敏になってるかな、今日はシャカシャカ走れそうだ、とか。

逆に夜に読むと、その日の充実感が分かる。一日にあったことよりも遠くの想い出を思い出すなら、その日は頑張った日、もしくはシンドくて疲れた日といったように。

 

詩は短い言葉の中に濃縮した世界を閉じ込めるから、時に意味が読み解けない記号のようなものも有る。書いた本人ですら本当の意味を理解できないまま、語感のリズムで浮かんだ言葉も中にはあるのかもしれない。

そんな正解のない文字列を自分の実体験に準えて、自分しか持っていない辞書片手に鼻歌を歌うように解いていくのも、また楽しい。言葉を知らない幼児が、それでもご機嫌な顔で何かを歌っている時と似ている面白さがある。

 

一人で何処かに出かけて行くときも、短篇小説を鞄に忍ばせていくことが多い。
携帯用のお化粧ポーチが小さいから、その分のバッグの余裕を埋めている形だ。

人込みに紛れるとひどく疲れを感じる質なので、休憩によくカフェやファストフード店を利用する。いつも選ぶは窓際の席。右に左に流れる人の群れを水族館の魚を鑑賞するようにしながらお茶を飲み。ちょっと落ち着いたら、おもむろにバックから本を取り出す。

 

最近のお気に入りは、又吉直樹氏とせきしろ氏が著作の「カキフライがなかったら来なかった」。御理伊武に勧められた、エッセイと呟きのような詩が載った本なのだが、とにかく面白い。

二人の作者の個性は全く違うのに、一つの本の中でお互いを主張しあうことなく、絶妙な力量で二人の個性が共存しているのが読んでいて心地良い。

おまけにエッセイも超短編で、1篇数ページほどしかないものだから、いつでも区切りの良いところで栞を挟むことが出来るのも良い。

 

私事になるが、今年初めて八味姉妹としての本を作成した。
文学フリマという全国を廻るイベントの札幌会場で販売するのが目的だった。

本来ならば、本がありきのイベント参加ということになるのだろうが。好奇心旺盛で記憶や思い出に残ることがしたいと切に願っていた私達のこと。あまり先を考えずに文学フリマのサイトで出店希望のボタンを押したら、抽選の結果、受かることとなり、出店するに至ったのである。
さぁ、そこからの時間の濃ゆかったこと。

 

そもそも本を作ること。高校の文芸同好会以来としては、まだ八味姉妹と名付ける数年前に一度だけ、本当に趣味の範囲でホチキス本を御理伊武と作成して周りの人に配って悦に入って以来の初めての、本。

印刷所に印刷や製本を依頼するのも初めてならば、1冊の本としての構成を手掛けるのも初めての体験。潤沢な資金があるのならば印刷所にいるその道のプロの方に丸投げにして、願望そのままを伝えて、理想通りのモノを創って貰うの手もあったろうが、そうもいかない懐具合なものだから。現実的なやりくりをしながらの試行錯誤。

 

結果的に、それが良かったと今なら思える。

編集長役を務めてくれた相方の御理伊武には恐縮されっぱなしだったけれど、本当に充実した苦しくも愉しいモノヅクリの時間だったから。

 

どんな風にしたら、読んで貰えるだろうか。

どんな風にしたら、読みやすいだろうか。

 

共感して頂いたり、言葉遣いが甘いと鼻で笑われたり…良くも悪くもそういったことを思われるには、読んで貰えることが当たり前の第一前提で。

 

PCモニターの明かりを浴びながら一人でただ考えていても何も浮かばず。自然と本屋に足が向いた。そもそも本屋に行く回数は並の人以上だとは自負しているが、あの時期はおそらく店員さんがいぶかしむ程には本屋に通ったと思う。

 

表紙から本のサイズに始まって、文字の置き方・構成方法…目についた本を隅々まで立ち読みしては、お店の中心で「へぇ」を唇から先に出ないように気を付けながら連呼していた。この年齢まで読書を趣味と公言してきた私だったが、本の成り立ちにまで気を回したことはなかったのに初めて気付いたのだ。

 

結果、紙の質にまで目が届き、手漉きの紙で表紙を作ることができたら…とまで夢想し、某アイドルグループがカレーを作るのに土や種を選ぶところから始まるコーナーに妙に共感するところまで行き着く始末。その度、御理伊武編集長に否定されることはないものの、いつの間にかやんわりと現実に戻されることをくり返し、着々と本づくりを進めることが出来たのである。

 

表紙を「赤」にしようと言ったのは御理伊武の案。「八味姉妹」の名前の由来の一味と七味唐辛子の色に掛けたのと、とにかく目立とうとしたのが理由。

結果、それが全てで、それが良かった。

初めてにしては、胸の張れるモノが出来たと、季節が変わった今でも思えるから。

 

色々な方に見て貰えたらと思いながら、流通の方法を模索中な現在。売り手も買い手も手軽に出来る方法が有ればと、段ボールに潜んでいる在庫達とにらめっこで悩んでいるのは、また別の話。

 

初めて本を作っただけのちっぽけな存在ながらも。いつも触れてきた本の仕組みやどれだけの人の手を経て、自分の家の本棚に並んでいるのかを考えるにも良い機会になったのは間違いない。

 

最近は、手軽な電子書式が流行りだけれど。

やはり、私は紙媒体でないと、と思ってしまう。

手に感じる一冊の本の重み。

一ページ目を開く時と最後のページを閉じた時に受ける微かな空気の動きに同調する心臓の鼓動。

本の楽しみ方は、読むことだけではないというのは、ニッチ過ぎる考え方だろうか。

 

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「本」御理伊武 著

履歴書の欄に趣味は読書と書く。

2000年のミレニアムのお祭りの後の就職氷河期に、特技や趣味は必要ない。

新卒採用の面接で、若い人は素直で使い勝手があり、新規顧客の開拓に親族友人を紹介してくれたのならば、その時だけほめて後はお役ご免。また契約を取らなければいらない人として無視される。

そんな時代だった。

就職活動の面接でも趣味は読書です。と張り切って自己紹介をしてもその先は聞かれない。

得意なスポーツはと聞かれ水泳ですと言う。好きなだけで実際は息継ぎが苦手で背泳ぎしかできないし、浮き輪でプカプカ浮いているのが好きなのだが、そのつど、肩ががっちりしているよね。と定型文のように切り替えされ、私は、アハハと面白くもないのに笑う。

 

名前ばかりの会社に入った私は札幌駅前の立派なビルで働いていた。大学を卒業したばかりの女子なんてまだほとんど学生のようだと思う。周りの大人の空気に馴染めず、自分から擦り寄ることもしなかった私は一人で昼休みを過ごした。

 

同期もいたのだけれど、皆は営業部、私は一人借金を回収する部署にいた。昼休みは一人で駅の地下のイートインのあるパン屋やドトールコーヒーで昼食を取り、本屋に寄って立ち読みをするのが毎日のルーティーンだった。

素直で頭の中が真っ白な女子だったので自己啓発本を貪るように読んだ。読んで、本屋を出ると、午後からの過酷な仕事もなんとかなるような気がしたのだ。そのがんばりの対価の月収は決まっているのだけれど。あらゆる自己啓発本に背中を押されて私は前進していた。日経の雑誌に載るような素敵な女子になる未来さえ思い描いていたのだ。

 

話は幼少の頃に遡る。私には何歳か年上の従兄弟が一人いて、彼はとても優秀だったのだと思う。お下がりに児童書をたくさんもらい、私は貪るようにその本を読んだ。中でも、まぬけシリーズは何度読み返したか。お気に入りで毎日のように玄関の脇に置かれたカラーボックスの本棚の前に座り本を読んでいた。外国の人が書いた本を翻訳したものだと思う。グーグルで検索してみたが本の詳細については出てこない。「電気のコンセントを濡れた手で触ってはだめ。もし触ったらびりびりと感電して火傷するよ」というようなことを、馴染みやすいイラストともに物語形式で書かれている。今でも十分面白く生活について学ぶ良い本なのだが。

 

飽きもせずにひたすら何度も読み返していた。それで、生活における危険な場面は学んだと良いほどの本だった。とりあえず、ビルとビルの間にロープを張って、綱渡りをしようとは思わない常識人になって今まで生き残ることができたのは本のお陰だ。本の中の少年は綱渡りを試みて落ちている。足を踏み外せば真っ逆さまに落ちる。私はどんなことがあっても、本の言うとおりに間違ったことをしたら、遠い空の上の神様にしかられると。通常の道を外れないようにそれでもミシン糸のように今にも切れそうな細い道を選んで進んできた。

 

玄関脇のオレンジ色のカラーボックスを使った本棚には、お下がりの本や親戚からもらったディズニーの本や、児童書がたくさんあり、そこに並んだ本は私だけの場所だった。文字という文字は全て読んでいたのだと思う。読む物がないときは朝刊に折り込まれた黄色いチラシの安売りの値段を、朝早くこたつ布団に入って眺めていたほどだ。

 

小学校の図書室にある本は昆虫の図鑑などは苦手だったが、興味のある本はあらかた読んでしまっていた為、放課後、PTA会議室の中に忍び込んで、用務員さんの巡回に息をひそめて放課後のベルがなるまで、一人でPTA図書を隠れて読んでいた。文庫本を中心にあらゆる雑多な本が並んでいた。面白い本などなくて、教育熱心な親が読むような子育ての成功談にまつわる本ばかりだったのだろうと思う。それでも文字を追っている時間は幸せだった。もし、見つかった時に言う、言い訳についてあれこれ考えながら、一人、西日の差し込む部屋の机の陰に隠れながら、最後の鐘がなるまで本を読み続けた。

 

本のある場所が、私の心が安まる場所だと感じ始めたのはこの頃からだと思う。

 

家になるべく帰りたくなくて、場所を見つけては本を持ち運び読んでいた。コンクリートの外階段の隙間、下水処理場のテニスコートに改造したけれど誰も使わない広場。子供一人が忍び込んで隠れることの出来る場所で、私は小さなリュックに入れた本を読んでいた。

 

中学校に入ると、図書館があり、図書カードを使い自由に本を借りることができた。小学校の頃とは比べものにならないほどの本で覆われた巨大な部屋の中で。私は貪るように本を読んだ。現代小説家や昭和初期の作家、外国語の翻訳や、美術の解説書。理解はできなかったが、中学生の頭で文字は追える。国語も読書感想文も苦手だった。だから薄っぺらい頭の感覚で読んでいたのだろうと思う。

 

大学になると、夜間大学生の私には昼休みはなかったが、授業を終えた後、時間があれば閉館の22時まで図書室にいた。統計書や栄養学からシェイクスピアまで、スマホがない時代だったので、あらゆる文字が溢れるほどの知識の泉だった。閉館ぎりぎりまで、日中と夜遅くからもバイトに明け暮れた私はその時間は学生でいたくて本を読んで過ごした。

 

本は私の頭をかすめる。そして少しばかりの感触を残したまま、またそこで生きる物としてうごめき始める。本の中の時は止まっているのにどうしてだろう。その本はそのまま生き続け動いていくような気がする。

働き始めてもう20年以上経った今は昔ほど本を読むことがない。飛行機や電車の長距離移動の時だけは本を買っても良いと財布の紐が弛みそれでも悩みながら文庫本を選ぶ。

 

蒼月さんから「ダイナー」という本を借りた。作者自身が書ききったといえるほどの内容を詰め込んだ本だ。ここまで書ける人は素晴らしいと思う。今の私の知識からいって書ける範囲のことは限られているのだが。ダイナーの作者のように今の自分の才能の全てを詰め込んだらどうなるのだろう。

 

ああ私は生ぬるい世界で過ごしていると思うのだ。

受け身でいる世界と、作り出す世界は全く違うと。

誰にも言われないが、気がついていることを。

もう居心地のよい図書室はなくて、巣立った後の鳥はどうするのだろうと想像し。

いつかと思いながら、私は昨日の続きの今日へと向かう。

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