八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「カメラ」蒼月 光 著

カメラのレンズを向けられることが苦手になったのはいつからだろう。

実家には無数のアルバムに赤ん坊から大きくなるまでの写真が収めてあるのに。それも全部一つに纏めたら、公園でシーソーが出来るくらいの重さになるんじゃないかと思う程である。

 

それほど撮られ続けたはずなのに、今ではレンズを向けられると、目や唇をどうしたらいいか分からなくなる。素材と年齢分向き合ってきた自分には、映り良く撮られたいという願望はとうになくなっているというのに。

 

どんな表情を向ければ良いのか分からない、というのが正直なところだろうか。
カメラシャッターを押す人に向ける笑顔をと考えれば良いのだろうが、どうしてもその前のカメラが目に入る。変なコダワリなのだろうことは分かっているのだが、どうしても意識しすぎてしまう。お陰で写っている写真はどれもこれも口元が引きつっているようにみえるものばかりだ。だから、写真に関しては誰かと記念に写る以外は、なるべく写りにいかないようにしている。自分は人や動物や風景かまわずにシャッターを切ると云うのに可笑しい話かもしれない。

 

ちょっと前まではスマホのカメラ機能もさほど高性能ではなくデジカメで写真を撮ることが一般的だった。御多分に漏れず、私も何処かへ行くとなったらデジカメを持っていっては写真を撮るようになっていた。

その切っ掛けは地元北海道がどの風景を切り取っても美しく見える場所が多いのに気付いたからだ。


ご承知の通り北海道は広い。

 

おそらく初めて来道される方は戸惑われるだろうほど広い。函館、札幌、富良野の観光地を一日で廻ろうとする人がいるのなら、それは無理だと教えてあげるほどに広い。そして人口が少ない。場所によっては酪農で飼っている牛の数が、その町の人口の数倍だったりする。

だからこその、本当の自然が多分に残っている。

 

知床のような人の手が加えられていない、原始からの肌にまとわりつくような濃い空気を保っている場所があれば、富良野のラベンダー畑や美瑛の丘等の人の手が加えられてるからこその壮麗な景観場所もある。

本来ならばほんとうに細かく脳が記憶してくれたら良いのだが、生憎そういう立派な頭脳を持ち合わせていないので、思い出す切っ掛けとして、カメラで写真を撮り始めた。

それが、私とカメラの出会いだったように思う。

 

いつからかスマホカメラの性能が格段に上がり、いつのまにかデジカメを持たなくなったが、その分より気軽にかつ高画質な写真を撮ることができるようになった。

この「気軽に」というのは本当にポイントが高い。

昔から友達と家から遠く近く問わず、ちょいちょい足を延ばして何処かへ行くことが多かった割に、カメラを持ち歩くことが面倒で、意外に写真は残っていなかったことを本当に後悔し始めているからだ。

 

人は生きている以上、日常に忙殺される。目覚まし・時刻表・書類・電話・インターホンに、町内会の回覧に…。日々覚えていかなければならないことを優先する為だろう、古い記憶は日に日に擦り切れて行ってしまうものだと思う。

実際、ちょっと歳を経た今、あの時の思い出話をすると「いや、あの時はこうだった」「いやそれは違ってこうだった」という話になり、しまいには「記憶ないわぁ」という

残念な事が多くなってきた。

 

あれだけ愉しい時間を過ごしたはずなのに、記憶の齟齬や喪失は、仕様がないことだけれどどうにも哀しく寂しい。こういうことがある度に、ここで写真が有ったらと痛恨の後悔を受けるのだ。

きっと1枚でも当時の写真があれば、誰かが忘れていた小話を思い出して、それが連鎖して。思い出話の花が見渡す限りの規模でワッと薫り立ちながらもっともっと咲くだろうと。だから、今は、容赦なくスマホカメラを利用させてもらっている。

 

スマホ選びもカメラを基準にするほどで、ウデさえあれば夜景も綺麗に撮れ、容量も申し分ない。友達が此方に顔を向けていなかろうが、青空がみえない曇天だろうが、ちょっと盛りから過ぎた花だろうが、自分のアンテナがピコンと立った時は、必ずカシャリとするようにしている。

 

飽くまで個人の趣味なので、誰に何を言われることでもないが、ツィッター等で共有した時に、いいね、と言われると正直、悪い気はしないもので。

また逆に、他の誰かが撮った写真をいいね、と伝えることでも、素敵な時間を切り取った瞬間を共有できたようで、なんだか胸の辺りに甘い湯気がたつのだ。

 

勿論、巷で流行ってる、写真だけ撮ったら良いというマナー違反は自戒している。

牧場や畑に無断で入り込んだり、食べ物を粗末にしたり…何の為にそこに在って、それが素敵なのかと考えてからカメラは構えるべきだろう。何よりその方が、良い写真が撮ることができそうだ。

 

後の時間に残したいものは何か、そこまで考え及んでシャッターを下ろすことができたらプロの領域だろうから、私はせめて、思い切り息を吸い込んで、色んな角度で被写体をみてからシャッターボタンを押す。

 

人の記憶は五感を使った方が記憶に残りやすいと何かで読み齧ったことを信じているせいだと自分では想っている。

 

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マオイの丘