八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「青」というテーマの元に「色感談義」 高柳 龍 著

八味姉妹の執筆活動の原点は、学生時代に立ち上げ直した「文芸同好会」です。
その時の顧問である高柳 龍先生に、最近、再び懇意にして頂き、ご指導賜りたくエッセイを執筆して頂いておりました。
(文学フリマに来て頂いて、本当に感謝と嬉しさでいっぱいでした…!)

余りに面白い内容なので此方に原稿を投稿しても良いかと確認したところ、快く良いとのご返答を頂けたため、これから少しずつ載せていく予定です。

どうぞ滋味溢れる八味姉妹の師匠の世界をご覧下さい。





「色感談義」


 子ども達が幼かった頃、雨が上がるや外に飛び出し、虹を見つけて歓声を上げた。見入る子等に何色あるかを尋ねると兄妹揃って指差しながら数え始めた。七という数にはなかなか達しない。
 が、若き親は教えたくなる。まずは赤だろう、次は……、
「お父さんにもきちんと見分けがつかないけど、専門に勉強すると見えるんだろうねぇ」
 それ以前のことだったか、何色が好きかと尋ねた。妹の方が即座に黄色と応じたのに、息子は暫く首を傾げたのち「赤」と答えた。どうしてと聞くとまた考え込む。娘は横合いから「可愛いから好き」と得意である。ややあって、「お日様の色だから」と。……ええっと此方が反応したのへ、「それに、『レッドファルコン』(当時の戦隊ものTV番組のリーダーであった)の色だから」と言うのには笑ってしまった。


 一体全体、私はどんな気持ちで子等と会話を楽しんでいたのか。
 男色(おとこいろ)、女色(おんないろ)。今、口にすれば𠮟られるだろうが、昭和30年代には罷り通っていた。とりわけ私はその意識が強かったかも知れない。黄色のカーディガンすら拒絶した。では、何色を好んでいたか。「青」だった。理由は? ……妹も「青」と答えた時、やたら腹が立った記憶がある。


 色の好みに理由など必要か。好きだから好きなのさと嘯く人もいる。理由など無くとも選べるのはなぜか。それも個性のなせる業なのか。でも、いかなる嗜好にも理由は厳然とあるだろうに……と何だか煮え切らぬ己がいる。


 母は若い頃から深い青緑色を好んでいた。身に着ける物の多くがそれだった。父が「黒」と答え、その理由を何物にも染まらぬ強さだと答えたが嘘っぽかった。対して、気になる女の子が「白」と言って「どの色にも染められるから」と口にした時は不快になった。
 老齢になると不思議に好みに変化が生ずる。渋みのある色や香り、所作・雰囲気などに惹かれたり、音楽でも演歌に魅力を覚えたりした。車を乗り換える際にも、白やシルバーにしか乗ったことがないのに、「ダーク・ブラウンにしようかな」と妻に言ってみた。娘にまで反対された。


 今の自分は何色が好きか。茶? その表現には抵抗がある。が、「焦げ茶」と言えば悪くない。いや、抑々「好きな色」などということ自体が愚問であり些末なことだ。

……でも、やはり青色かなあ、とつい思ったりするのはどういうことだろう。

 自分が子どもの頃、「青」が好きな理由を空や海の色だからと答えた気がする。でも、色彩には幅があり本当は藍色や群青色をイメージしていた。色の種類はたくさんあるけれど「好みの色」と言えば不思議と数種に絞られる。だから性格判断にも使われるのだろう。 

 それこそ人の数だけ存在するはずの個性、自己同一性との関わりがあるとするなら、私は集団内に取り紛れるのが生来嫌いだった、それでいて目立つことは好まぬ性分でもあった。

 寒色である「青」は集団を好まぬ孤立への憧憬だったか。静寂に身を委ね自然の儘に呼吸ができる安穏さを求めていたか。『銀河鉄道の夜』の寂しくも美しい世界に共鳴したのも底にそれがあったせいなのか。


 社会人になって年嵩の先輩から「青いなぁ」と言われ、ムッとしつつも内心嫌じゃなかった時期がある。青春は年齢を問わぬということを考えもしない頃だった。「青春」という言葉に至高の純粋美を感じていた。それは同時に「春」という季節にも過大な情感を結び付けていたろう。「青」に関連する言葉の輝きが蔓延して行った。強烈な思い出が、自身の歴史が作られた頃であった。


 やがて、自己認識に固定を見、妥協する高齢を迎えた。可能性が次々に閉じられて行くのを意識した時、己の確固たる過去を片隅に置きながら、若人達の青さ、それ故に努力する美しく逞しい姿勢を強く感じるようになっていた。それは個々の美であり、しかし、孤立ではなく集団の中で光り輝く姿勢への感動だった。その個の輝きは色にすると「赤」だろう。今は女色として嫌ったりはしない。

 

 だが、その存在が明確な立ち位置を持っていること、また、そのステージこそが「」なのでもあった。

 

 「」の象徴する個の美しさ、その個々を有しながら圧倒的存在である世界が今も好きなのだった。雲一つない深い碧空、塵を寄せ付けぬ深くて透明な蒼海に惹かれるのは、ひょっとして青き天球に繋がっていたか。


 春、身の丈ほどのランドセルをしょって歩く子どもを見ると思わず涙ぐむ。

 皆それぞれに歩み、社会を形作っている。    

 人の世は悪くない、一人ほくそ笑んだ他愛の無い話である。          

 

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