八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「じょっぴんかる」御理伊武 著

小学生の頃、友達に鍵のついた日記帳を見せてもらったことがある。

厚手の表紙の真ん中に小さな錠前があり、鍵をかけると開けなくなる構造だ。ファンシーショップで見かけたことはあったが、子供のお小遣いで買うのには高価だったので、眺めているだけだった。

そもそも、日記は三日坊主で、夏休みの宿題の日記ともなると最終日に無理矢理思い出してまとめて書くタイプだ。だから日記帳を欲しいとは思わなかったのだが、その小さな鍵に惹かれた。

 

自分だけの秘密を日記に書き記し、誰に見られないように鍵をかける。そんな状況を想像すると思春期独特の胸がキューッとなる感じがした。

思い起こすと、女の子が好きそうな小物入れや缶のケースには小さな鍵がついていた。自分にとっては鍵をかけてしまっておきたい宝物。友達からもらったビー玉とか。小さなメモとか。お祭りで手に入れたキラキラと輝く指輪とか。大人から見ればどうでもよいものを鍵付きの宝箱に仕舞っておきたかったのだろう。

 

学習机にも一番上の引き出しに鍵がついている。

私は、そこに大切なものを入れていたのだ。親は鍵のかかった引き出しに気がついていたのだろうと思う。中を知っていたのか、無関心だったのか。もう机はないのだけれど。

思い出も、現在進行形のその時も、全てひっくるめて入っていた。

 

あなたは、何を入れていたのか、覚えていますか?

 

鍵をなくすのが怖い。

鍵そのものが小さくて薄く、一度置き場所を誤るとぐるぐると家中を探すことになる。

私は家の中では決まった場所に鍵を吊すようにし、決してその辺に放っておかないようにしている。鍵には大きなキーホルダーを3個付け、鞄の中では鍵を入れる内ポケットを決めておき、時々触って存在を確かめている。

 

そんなに大切に扱っていたのに、事件は突如として起こるのだ。

 

だいぶ前だが、帰宅時に早くトイレに行きたいと思い焦っていた午後6時。エレベーターから降りた拍子に、鍵は手から滑り落ち、エレベーターのドアの隙間から暗黒の闇の底へと消えて行った。十数メートル下の地底で微かにシャリンという音がした。

 

「うわわわ」

頭の中が真っ白になった。

ホールインワンだ。

なぜ、こんな時に着地すべき平らな場所はいくらでもあるのに、僅かな隙間へ落ちていかなくてはならないのか。

再び、エレベーターに戻り、エレベーターの中に書かれた管理会社に電話する。携帯があって良かったーっと思う。動悸が収まらない震える声で事情を話すと、冷静な女性職員が対応してくれ、30分程で伺いますとのこと。たまたま保守の人が近くで作業していたらしく、そこから駆けつけてくれるらしい。

 

エレベーターホールで待っていると、程なく管理会社の茶髪のお兄さんが到着した。途中で引っかかっているとやっかいですね、と言われ、さらに冷や汗をかきながら、お兄さんを見守る。運良く、エレベーターを止めている間、他の住民の行き来はなく、迷惑をかけずに済みそれだけは幸いだった。地下に入っていったお兄さんを待つこと、十数分。救助から帰還した茶髪のお兄さんの手には、見慣れた私の大切な鍵がしっかりと握られていた。

 

アルマゲドンのラストを飾った曲が掛かる。

エアロスミスのあの曲だ。感動的な再会。チャラ男風のお兄さんが英雄に見える。

 

また、会えたね、鍵!

もう決して手から離さないよ、鍵!

ずっと大切にするよ、鍵!

 

そんな私のバカ面をよそに、お兄さんはさっさと退散の準備を始める。

私はトイレに行きたかったことをすっかり忘れ、マンションの玄関を去るお兄さんに深く深く頭を下げ、茶髪の髪が跳ねた後ろ姿を見送った。

それから、私はキーホルダーを増強し、隙間には落とさぬようにしたが、道ばたで落とすという可能性はまだ残っている。

 

鍵を持つだけでも、ストレスがかかる。だが、指紋認証などだと、指を切られたらどうしようなんて、普段は全く心配はいらない二時間ドラマで起こりそうな展開を想像してしまう。

鍵をしめてしまえば鍵がないと入れないが、鍵が開いていたらいつでも入れるのだ。

盗人が来ても現金以外の目欲しいものはないだろう。テレビは29000円だし、電子レンジはドアを手で押さえたままでないと動かない。

ただ、知らないうちに洋服タンスの引き出しに食べかけのみたらし団子を入れられたら嫌だとは思う。

知らない人が入って来て荒らされるのが嫌であって、盗まれて本当に困るものはあるのだろうか。

他の人にとってはどうでもよいものを鍵のついた小箱に大切に仕舞うように、私は今日も鍵を掛けるのだ

 

若い頃は心に鍵を掛けていた。

誰にも覗かれないように。扉を固く閉じていないと、中の自分がバラバラに壊れてしまいそうだった。

街で賑やかなおばちゃんの集団とすれ違う。

自分も他の人から見れば同じように見えるのだろう。

もう、よいかなと思うのだ。

鍵は一つしかない。

私は、鞄の中で嵩張るその感触を確かめる。

 

 

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※今回のテーマタイトル「じょっぴんかる」とは、北海道の方言で「錠をかける(締める)」という意味です。