「雨」御理伊武 著
突然の夕立。
桑園イオンを出た私は呆気に取られる暇もなく駐輪場の自転車へと向かう。軒下から3秒歩いて出てみれば、すぐに、ずぶ濡れになってしまう雨の勢い。しかし、ここまで自転車に乗って来たからには自転車で帰るしかない。
ショッピングセンターを出た人は傘を予め持ってきていたり、昼食を買いにきた近隣の背広姿の人は掛け足で会社のあるビルへ向かったり、近くに住んでいる人は買い物袋をぶら下げてゆったりと歩いてすぐ近くの自宅マンションへ帰っていく。
車で来て帰って行く人を羨ましく思う余裕もないまま、自転車を漕いで家へと向かわなくてはならない。
何もかも、顔も髪も服もずぶ濡れになりながら、ペダルを漕ぐ。今は一秒でも早く帰って特売で買った冷凍食品と、アイスクリームを冷蔵庫へ入れたい。それだけだ。
若い頃は傘にこだわりをもつJKだった。色はピンクでプライベートレーベルやローラアシュレイの花柄の傘が好きだった。傘は必ずデパートで買い、遊びに行った先で忘れてきたら真っ青な顔をして探した。
しかし、今の自分の傘は100均の傘で十分なのである。時々職場の置き傘のコンビニの300円傘を借りて帰ったりもするが、きちんと返却する。雨露を凌げたらそれだけで良いという感じだろうか。別に濡れても平気なのである。ぐちゃぐちゃの髪でも顔でもその後にデートや運命的な出会はもはやないと期待も希望もしていないからか。
私の最近になって買った傘は、イオンで1500円で奮発して買ったジャンプ傘だ。しかしジャンプの押す部分がすぐに壊れた。閉じる部分を押さえていないと勢いよくジャンプして開いてしまうので、閉じたり閉めたりする場所では使い勝手が悪い。だから、閉じるときはゴム紐でぎゅうぎゅうに縛って閉じている。閉じるときは困難だが、開いている時は立派な傘なので大切に使っているのだ。
ところで、雨に打たれながら、自転車を漕いでいると自転車や徒歩ですれ違う人が少ないので、学生時代に合唱部だった私は歌を歌ったりする。案外と口に雨は入らないのだ。マイカーが自転車なので、ステレオもなく、想像上の音源で歌う。タリタリタララー、頭の中は台風が近づいてきたライジングサンのような吹きさらしの草のみの会場。そして風がゴウゴウと行く手を阻む雨の降りしきる暴風具合だ。しかも本日の観客はゼロ。
「それでも、あなたの為に歌います。聞いてください。一曲目は雨。森高千里のあのしっとりとした曲です!」
一人リサイタルを、自宅に着くまで繰り広げる私のレパートリーは幅広い。アイドルっぽく森高を歌った後は、雨の付く歌をひたすら歌い続ける。それが、和洋取り混ぜのアメージングサンだ。八神純子さんの「みずいろの雨」を陶酔しきって歌いきり、レベッカの「真夏の雨」をやたらと息切れした感じで歌い、雨の勢いが弱まってきたら「雨に唄えば」英語が分からないのでとりあえず楽しそうに鼻歌でふんふん歌う。
気になってカラオケのジョイサウンドで「雨」という文字がタイトルに入る曲を調べたら、洋楽なども含めて2719曲あった。それに対して「晴れ」という文字の入る曲は同様の検索方法で281曲であった。その差はおおよそ10倍である。ちなみに、曇りが付くタイトルは35曲であった。
晴れよりも、雨の方が詩として書きやすいのか。
晴れから思い浮かぶ言葉はどうだろう。
「晴れた空、買ったばかりの自転車で、あの人との帰り道の分岐点の坂の途中で待ち合わせをしよう。」
なんて、すごく前向きな、イメージが浮かぶ。
雨だと、非常にアンニュイになって、「雨と私」「雨の港町」「雨に打たれる貴方が好き」なんて、タイトルからまず自由に次々と思い浮かぶ。
私は雨は嫌いではないが、雨が好きと告白されると、一瞬、「えっ」となる。
シャワーの代わりに雨を浴びたいの?
まさか豪雨に打たれたい修行僧的な感じ?
それとも、雨を理由に家でひたすらのんびりしたいインドア派?
そして、私の想像を超えてしまうくらいすごく変わった感じ?
だから、私も雨が好きとは言わないでいる。
大地に水が染みこむ感じが良い。
草木が元気になるような感じがする。ほどほどであれば。
2018年の10月27日、札幌は暴風雨により、土砂災害警報が発令された。
あの、どきっとする携帯の音と共にである。山に近い我が家も雨で地盤が弛んで常に山の形状が崩れれば、一気に流されてしまう可能性があった。避難勧告区域と道路を挟んですぐ側だったので、そのときは街にいて良かったなあと思ったのだ。そのピロピロピロリーンとい音楽が街中で呑気にハローウインパレードをしている最中に携帯所持者の殆どの人から流れた。ピロピロピロリーンの連続である。しかも、一時間以上間隔を置いて、流れ続けた。その雨での大きな被害はなかったのだが、9月6日の北海道胆振東部地震の停電の後だったので、警告の音は有り難いけれど、必要以上に動悸がするので心臓に悪い。
雨の中、避難したらどうなるだろう。
子供の頃、平屋建ての官舎で車を持って居る人はそれぞれ、青いビニールシートで囲った車庫を建てていた。小学生の頃の雨の日の遊び場はそのブルーシートの中で、雨音を聞きながら、その下にピクニックシートを敷いておままごと遊びをした。
当時の道は砂利が殆どだったので、その場で染みこむからか流れてくる水もなく、私たちのビニールハウスの小さなお家で飽きるまで遊んでいられた。それは遊びであって本当にその場所で24時間過ごすとしたら想像を超える苦労があるのだと思うのだ。
当時は、皆、家で遊ぶよりも外で遊びなさいと言われていたから。あまり意識せずに外で遊んでいた。公衆トイレが近くになかったので、トイレも砂利を掘って作っていた。ビニールシートの地面から伝わる冷たさは、どの月までは耐えられるのだろう。真夏の雨は温く頬を濡らす。そして僅かしか間を置かずに指先が冷えて凍えてしまう季節がやってくる。その頃には家で遊んでいるかもしれないが。
冷たい秋雨を同じ手のひらで受け止めるのだろう。
私たちの小さな生活は宇宙からみれば塵よりも小さい。
本日、雨雲はありません。
朝の天気予報を真に受けて。
午後からの公園での遊びの為にポカリスエットと菓子の用意をする。
蟻が巣の準備に忙しい。
急に流れ始める白い雲と灰色の厚い雲。
私は空を見上げる。
そして風がまた吹いてくる。