八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「じょっぴんかる」 蒼月光 著

父方の実家は函館近くの見る角度によって形を変える駒ヶ岳が、ほんの少し遠くに見える程度に在る。

つまりは所謂「ハマ言葉」にかなり寄った言葉遣いをする。

 

伯父叔母の言葉はたまに分からないくらいで、聴き飛ばしてしまったりしても会話は成立できる程度だったが、祖母の言葉がとにかく難解だった。

本州出身の母も同じだったらしく、一旦、父や伯父叔母の顔を見て通訳して貰ってから、頷いたり返事をしたり…まるで外国語のごとくである。

 

オマケに私は人見知りの強すぎる子供で、その人見知りは親類にも及ぶ始末の不甲斐ない孫ではあったが、祖母はとかく可愛がってくれた。

数年おきに実家へ行く度、広い畑の仕事で丸くなった背をくるりと返し、爪の間に土の付いた手で私を自慢の畑に招いて、ここに果物が野菜が…とニコニコしながら教えてくれるのだ。今思えば、祖母も気を遣ってだろうか、あまり長い言葉は話さず、単語を繋いだ程度で話しかけてくれていたように思う。

 

私がまだ学生服を着ていた時分に、祖母は天寿を全うしたけれど、今の年齢でこそ向かい合って話がしたい人の一人だ。

私にとっては生前逢えた唯一の祖母だったからこそ、悔やむことも多い。せめて成人してから会えていたら、人見知りの影も薄れた私が会えていたら「おばあちゃん」とたくさん呼ぶことが出来たのだろうに。

 

言葉なんて意外に通じるものだと、意外なほど大事なことは通じるものだと、社会の波に多少なりとも揉まれた今なら、分かるのに。

なかなか行けない父の実家の仏壇の前で合掌する度、呼ぶ声は届いていると思いたい。

 

 

「じょっぴんかる」という言葉を生の会話で聴いたのは、社会人になってからだった。仕事の休憩中、多少のおふざけもあったろうが、如何にも自然に「じょっぴんかった?」と言われて、思わず聞き返してしまった。

 

年齢は同年齢の集まりでも、地元は札幌市以外の人も少なくないグループだったので、私だけが聞き覚えの無い言葉なのかと想ったら、意外にも「じょっぴんかる」を言った人以外は、使った事がない言葉であるのを発見した。

 

それからは、もう北海道弁のアレは知ってる?コレは使ってた?のオンパレードである。根っからのさっぽろっこ(生まれ育ちが札幌市の意味)の私は、せいぜい「なまら」「わや」「したっけ」「そだね」「ゴミ投げて」「手袋はいて」…いや、せいぜいじゃないけれど、まだ程度の知れた北海道弁を使っていたし、現役な言葉も多い。

 

思い返せば特に「なまら」と「わや」を使っていたのは小中学校時代くらいまでの話で、年齢が進むと使わなくなる言葉なのが不思議だ。夏のジリジリするような太陽にも負ケズ、未だに子供たちが「なまら」「わや」を使って元気に叫び走り回っているのを窓越しに聞くが、大人たちが使うのを余り聞かない。

誰かを貶める言葉でもないのに使わなくなる理由はなんだろうと思う。

 

なんだったら「なまら」と「わや」だけで会話をしていた時期が有った気がする。それだけ汎用性の高い言葉なのだ。

「なまら」は、たしかにある意味で有名になり過ぎて北海道臭さ…ラベンダーだったりキタキツネ乳牛だったり広大な畑だったり…がプンプンしすぎているからというのは分かる。

けれど「わや」はそこまで敬遠される言葉だろうか。

実はこの「わや」という言葉、北海道だけではなく、岡山県広島県・愛知県・三重県等広い地域で使用されているようだ。また使い方も大方同じようで、今まで北海道弁と思い込んでいた自分が少し恥ずかしくなる。

しかしながらこういった視点でも北海道という土地が、本州から移住された人達のお陰で発展できた土地ということが証明される。蝦夷地北海道にはマンパワーと同時に地元の言葉も一緒に届いたのだ。

 

「わや」という言葉、少し調べてみると、元々は、「おうあく」という古今和歌集にも使われれている古語が語源となっているらしい。「おうわく」が「わやく」「わわく」となっていき、特に「わやく」から「わや」に変化。定かでないながらも関西が発祥のと言われているそうだ。

因みに、手元にあった三省堂新明解国語辞書第四版では「(大阪を中心として南は長崎、北は愛知・岐阜から北陸の方言)めちゃめちゃ・乱雑」と書かれていた。

そういえば、ダウンタウンのお二人も「わや」という言葉を使っていた覚えがある。

正直、「わや」を使っていた当時は方言かどうかを気にせずに日常の言葉としてのびのびと大きな声で発していた。それが正しく、真っ正直な言葉の使い方なのだと思う。

日本の共通の言葉で、基本的だと考えられるのは東京本社のアナウンサーが使っている言葉がそれなのだろうか。日本人全員に伝わり、外国人にも正しい基本の日本語だと教えられる言葉。

 

だからと言って、地方にある言葉を忘れさせていく風潮にあるのはどうなのだろう。

 

勿論、新しい言葉が生まれるというのなら、自然と使われなくなっていく言葉も有るだろう。けれど産土の匂い含まれるものは生きていくのに大事な糧になるはずだ。

何かの用事で、方言の強い地域の企業に電話をしたら、イントネーションは違えどその言葉以上に伝わるもの真摯さや丁寧さを感じたことがある。

「なまらわやで、いいっしょ」なんて、いつかの最高の誉め言葉だった。

使わなくても覚えている言葉は、身に沁みついてる大事な言葉だ。

たまにでも地元の友達とキャッチボールし合っていこう。

 

じゃれあうように、甘えるように、忘れない様に。

 

 

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 ※今回のテーマタイトル「じょっぴんかる」とは、北海道の方言で「錠をかける(締める)」という意味です。