「水遊び」御理伊武 著
私が4、5歳の頃にビニールプールで遊んでいる写真がある。
平屋の公務員官舎の庭の片隅。車がなかった我が家は、雑草の生えた石と土の混じる駐車場をそのまま子供の遊び場にしていた。自家用車のある他の家は、青いブルーシートを張った車庫を作ったりしていた。それも雨の日にはおままごとの家になり楽しかったのだが。
ちゃんとピンク色の水着を着て、ビニールプールに収まる私は、写真を撮っている母か父に向けて目を細めて笑顔でいる。貴重なフィルムの何枚にも渡りビニールプールの光景は写っているが、もう私の中にはそのプールも水着の記憶もない。
無理矢理記憶を探っても冷たくぬるくなっていく水の感触と、ぼんやりと浮かぶビニールプールの底の柄くらいしかない。ただ、ビニールプールは、小さい子供には楽しいものなのだということが分かった。細かいことは覚えていなくても、それだけで収穫だと思う。
だから、自分の子供にもビニールプールで水遊びをさせたかった。
若い夫婦だった私たちは新興住宅街の一角にある中古マンションを購入した。建物の構造上、ベランダが広いのが、売り文句の一つだった。友人を招いてビアガーデンや、プランターを何個か置いて家庭菜園を満喫できそうな広さだ。
若い私は、まだ1歳の子供を抱きながら、そのうち子供とビニールプールで夏は遊べるなあと、考えていたのだ。冬には雪が積もるため、排水もしっかりしている。小さなビニールプールを置く想像はたやすく、夏間近にイオンのおもちゃ売り場でビニールプールを見かけては、今日買おうか買わないか悩んでいた。
そんな中、私は風邪っぽくなり、まず、市販の強めの風邪薬を飲んだ。早く治したかったし、風邪薬は早めのほうがよく効くという経験があった。食欲もなかったので、滋養強壮だと思い、栄養ドリンクを飲んだ。薬局で格安で売っていたので買っておいたものだ。その後、なんだか熱が上がってきているような気がして、解熱鎮痛剤を飲んだ。あまり間を置かずそれらを飲んだような気がする。
その後、眠りについた。
マンションは、10階以上の高層階で、ベランダにつながるドアがある。
夢の中で、私はそこから飛ぶような想像をした。
ふわりと、ベランダの柵を乗り越えて降りるのだ。怖いとかそんな思いはない。飛びたいから飛ぶ、そんな感じだった。
明け方に目が覚めた。
薄い水色の空気の中、体が、ベランダのガラス張りのドアに向かって引き寄せられているような気がした。頭の後ろからどんどん引っ張られている感じだ。追い風が体を押して飛ばされそうな感覚。意識が、飛ぶのは気分がいいよと。なにも怖くないよと引っ張られていく。
でも、私は十分恐ろしいのだ。横向きで寝ている私の背中側には使っていないベビーベットがそのまま置かれており、そこに紐でもくくりつけておかないと引っ張られていきそうだった。
右側で寝ている子供の体をぎゅっと抱きしめ、重たい敷き布団を掴む。ベビーベットに体を括り付けたくても手足が思うように動かない。もし、完全に起き上がったら、足がベランダに勝手に向かいそうだった。子供と布団を掴む手に力をこめる。それにこんなに恐ろしいのに頭の中は重たく眠たいのだ。
意識がなくなったら、無意識のまま、飛び降りているかもしれない。次、目が覚めた時に生きているといいなと思いつつ、視界がかすんで瞼は閉じる。生きているとしたら、この2歳に満たない子供の生命力と敷き布団のおかげと思いつつ。
それから私は、ベランダはただあるものになった。
ビニールプールは結局買わなかった。その楽しさを実感できず、子供達は大人になる。もし、子供が大人になって、奥さんに「ビニールプール買ってもいい?」と可愛く聞か
れたら、「なんで、それって楽しいの?」 と返事をするようなダメ旦那になるだろう。
イオンでビニールプールを見かけて目をキラキラさせる子供に、うちはマンションだから無理と言う。子供時代のビニールプールの経験が今後の人生においてどれほど影響を及ぼすかは定かではないが。
その代わり、近場の公園の水場やプールに夏は積極的に出かける。
水遊びの水鉄砲やバケツ、水着、タオル、着替え、敷物、水筒、お菓子にお弁当、小さい頃にはおむつや抱っこ紐など、荷物だけでも大変な量だ。そして水に濡れ砂まみれになり帰宅する。
夏は、あちこちで水遊びをすることが定着しつつある子供達は、その記憶を持ち大人になるのだろう。どこまで覚えているのかは分からないが。
ちょっと、私が写真を撮るときに嫌な顔をするようになった、かつて1歳数ヶ月だった長男にカメラを向ける。
楽しかった思い出が、少しでも多く心に残るように。
私は疲れ果てながらも、家につくと、荷物をほどき、ゴミを捨て、汚れた服を洗い洗濯機に入れ、水筒を洗い乾かして、夕ご飯の支度を始める。
ベランダ越しに夕日が差し込む。
明日も晴れるだろうと思いながら。
ソファーで、うとうととし始めた子供に声をかける。