「水遊び」蒼月光 著
最近、時間と体力が有る時は、父が当番役になっている町内会の花壇の水遣りを手伝うことがある。
準備として近所の公園の水飲み場まで水を汲みに行くのだが、その公園には子供たちが十分遊べるくらいの規模の水場が造設されている。
水深は子供が座り込んでもお尻が隠れる程度のものだが、腕白な男の子くらいになると子象の水浴びさながら小さな虹をつくりながら、それはもう愉しそうにはしゃいでいるのに遭遇することもある。
私が大きな容器に水遣り用の水を入れていると、「なにしてるのー?」とはぁはぁ息を切らせながら無邪気に聞いてくる、びしゃびしゃの子象ならぬ小僧達。
お花に水をあげるんだよー、と、首に巻いたタオルで流れる汗を拭いながら答える私。
「どこのお花―?」「へー」なんて言いながら、短い髪の先から雫を垂らしながら、シュコシュコと手元の水鉄砲を動かして、象さんの鼻から放たれるが如く天高く上がる水。
この遠慮のない無邪気さが男の子の良さだと思う。
ここまでずぶ濡れだとさすがに家に帰ったらお母さんも驚くだろうなぁと思ったけれど「すっごいびしょ濡れだねぇ」なんて近所のお姉さんらしい距離感でニコニコ笑ってあげたら、つぶらな眼をくりくり動かして凄く照れたように笑って。
また水にざばんと入っていったのが何とも言えず可愛くて。一緒に水まみれになりたい程だった。
私は子どもの頃から水に触れることが好きだった。
小学校の頃は水泳教室に通っていた。
生来、おっとりと育ち、いつしか競争というものに嫌悪感さえ感じていた私は、とりあえずなるべく長い距離を泳げるようになれれば良いという、全くの気負いカロリーゼロで通っていた。
それでもクロール、平泳ぎ、バタフライ、と一通りのスイムを習得できたので、学校の水泳の授業では全く苦労することがなかったことを親に感謝したい。
そこで毎回授業が終わる前に自由時間というのがあり、プールから上がらなければ何をしても良いというお遊びタイムがあった。
なにしろ一番楽しみにしていた時間のこと。周りが嬌声と共にバシャバシャ遊び出す中、その時間、私が一番多く何をしていたかというと…ひたすら潜水をしていた記憶がある。
いや、もっと言うと。例えば友人とプールに遊びに行った時でも、水面上を泳ぐというよりも潜水をよくしていたように覚えている。
潜水とは、字のごとく、水に潜るだけなのだが、何故だか無性に好きなことだった。
プールの壁面にある梯子や凹凸に体が浮かない様に手をかけて、プールの底に座る。
鼓膜は大半をコポコポという水音だけで満たされ、世界が薄青い色に染まって。
上を見上げたら、水面から射し込む光が揺らいで視えて。
その向こうには水の流動に合わせて揺蕩う世界が広がっている。
数秒、息をしなくてもいいような錯覚に陥るほど、その世界が好きだった。
ただ底に沈むだけじゃなく、なるべくプールの底の方を狙って泳ぐのも、魚になった気がして気持ち良かったのを覚えてる。
それからもう少し時を遡る。
夏の暑い日は母とよくバケツを持って近所にある川へ行った。
ほんのすこしの川の水臭さ。ほんのちょっとぬるい、水の流れの気持ち良さ。
入る水深の限界は服がすぐ乾くくらい、せいぜい脹脛くらいまでの高さで堪能しながら、川影に潜むカワニナやタニシを獲り、家に持ち帰っては、金魚の泳ぐ平和な水槽へと入れる。
水槽の壁面や飾りに置いている石にじわじわと増える水苔を食欲旺盛に食べてくれる貝。
硝子越しにムチョムチョと動く様は、子供の目にはいつまでも見て居られる不思議な生き物でしかなかった。
更にもう少し幼い頃。
氷柱も溶け落ちる雪解けの春先。
現在では除雪をしっかりしてくれるようになったこともあり、冬終わりの積雪量が少なくなったせいか、家の前に水分量の多いシャーベット状の雪が溜まることもなくなったが、昔は酷いもので。長靴がなければ歩けないほどだった。
親がべちょべちょになりながら四苦八苦の除雪作業をしている横で、子供用のプラスチックスコップを両手で持ち、歩道に沿って、下水へ続く地面の鉄柵までジャァアアアと掻くのが無性に好きだった。
それはもう梅の蕾が目立つ春になるまで、毎日毎日ジャァアアアとただただ無心にシャーベット状の雪を掻いていた。
親に「アンタ、それ本当に好きねぇ」と呆れられながら言われたのをぼんやりと覚えているから、夢ではなく本当の記憶のことと想う。
何故そんなことが好きだったのか、全く覚えていない、もはや霧の向こうの出来事なのが残念だけれど。
ざらざらした雪を掻いた時に響く振動の面白さと、溶けた水にシャーベット状の雪が流れていく様が日光にあたってキラキラしているのが子供の目には綺麗なものにみえたのかもしれない。
日々、水に触れ、水を飲み、水を取り込まなければ生きられない私達。
幸せなことに北海道は豊富な水量を保つ土地柄でもあるから、池・川・湖・海…少しの移動で何処かの水辺に逢える。
冬の季節になると水が結晶化したもので覆われる北国の土地でもある。
資源を無駄にすることじゃなく、水と戯れることは、自然の中で生きている自分を自覚できる良いチャンスなのではないだろうか。
北海道ではラフティングやカヌーなど水辺のアクティビティ体験を出来る場所が増えている。機会があれば、是非にと私が前のめりにお勧めしたくなるのは、水と触れ合うのが好きだからという理由だけではないはずだ。