八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「料理」御理伊武 著

 居酒屋の席に落ち着き、ビールや飲み物を頼んで、飲み物がくるまでメニューを広げて眺める。唐揚げに、枝豆、後は鳥串と…。卵焼きの文字が目に入る。どのお店でも500円程度でボリュームのある卵焼きを私は必ずと言って良いほど注文する。

 卵焼きが大好きという訳ではない。誰かが焼いた卵焼きを食べてみたいと思うのだ。お店だったら調味料の加減が決められていて受け継がれているお店の味。お花見や遠足などで、もし、どこかの家庭の卵焼きを味わう機会があれば是非ともいただきたい。その人の好みの味とか固さや焼き加減で人となりが想像できるような気がする。卵焼きには個性とその人の人生が出るような気がする。だから、私は卵焼きのメニューがあれば、食べてみたくて注文する。

 私の母の作る卵焼きは、甘い。甘い卵焼きは実は好きではないのだが、母の卵焼きだけは、家庭の味だと思い安堵しながら食べる。自分で自分のお弁当用に作る時には砂糖は入れない。油も引かず、長ネギを炒めてから卵二個と混ぜ合わせ、めんつゆと粉の和風だし少々入れて勢いよく織り込んで仕上げる。最後に長方形になればよいという適当さ。お好み焼き風の味にしたくてソースを掛け鰹節を振り入れ、お弁当箱にインする。家族用には、砂糖を入れて甘しょっぱいだし巻きにしたり、砂糖だけの優しい味にしたり、クックパッドのレシピを参考に再現したりする。卵焼きの味が定まってもよい年齢になったが、まだ家庭の味が定着しないのは、私の好きな雑な卵焼きの味を、家族皆が好きではないからだろう。

 

 20代半ばの頃に、居酒屋でアルバイトをしていた。そこは60間近の、元薄野の女王であったママさんとアルバイトの私の二人きり。カウンターとテーブル、座敷を含めて、最大で30席位のこぢんまりとした、それでもたくさんの常連客に支えられているお店だった。

 ママさんのお店は私がアルバイト情報誌を見て応募する時に、助手のアルバイトがいない状況だった。私はその当時、就活も兼ねて黒のスーツにひっつめ髪だったので、薄野の外れではあったけれど、ママさんには面白く映ったのだろうと思う。

 常連客は決まったように卵焼きを注文する。飲み始めも、最後の閉めも卵焼きだ。油をひいて、卵を三個溶く。砂糖は大さじ1、塩は濡れた菜箸を塩の入れ物に刺して付く程度。途中でピザ用チーズを投入。卵もチーズもゆるやかで、お皿に乗っけてもチーズと卵液でゆるやかにぎりぎり形を保つ。

 私は、女王から、あれこれ学んだ。夕食の定食メニューの味噌汁も、味噌をおたまですくい取った後、鍋底でぐりぐりせずに、菜箸で溶くなど。私の料理は、勘が全てだったので、基本的な料理の仕方を一から直された。そのうちに魚の干物を焼いたり、鳥串を刺して焼いたり、22時過ぎには常連客に中華鍋を振るい、香ばしい、締めのラーメンを作ったりした。

 ママさんは、常連客の対応に忙しく、21時を過ぎれば、ママの独擅場だった。私はママさんによると、二十歳そこそこの、飲めない女の子という設定だった。私は常に凍ったジョッキグラスを冷凍庫から取り出して、職人のようにビールを注いで運び、お酒と氷が足りなくなれば近くのコンビニに走って買い出しに行くといった使いっ走り。その間にも私ができる料理をカウンターの常連客と話をしながら作り、常に忙しく動いていた。

 ママさんと20代半ばの私の二人という店だったが、薄野の外れにも関わらず、大企業の支店があったり、北海道の企業の本社があり、そこで働く一部の人たちが、同僚と一時発散をしたり心を休ませる場所だった。

 飲めない設定の私と、常連客に付きっきりのママさんでは、繁盛店の対応が出来ず、他に一人、料理ができて飲むことができる大人の女性(年は私とそれほど変わらないが)を新たに雇った。ママさんは、その人がお店に慣れた頃、刺身の盛り合わせの作り方よりも先に、常連が常に注文する卵焼きの焼き方を伝授するのだ。

 私には卵焼きは作れないと、ずっと言い続けていた。そんなママさんだから、卵焼きを焼ける人は数ヶ月で常に変わっていたのだけれど。

 私はママさんの卵焼きをずっと見続けていたから、教わらなくても見様見真似で作ることが出来る。でも、25歳も過ぎた私に教えてくれなかったのはなぜなのか。

 ここで、ママさんと再会して当時のエピソードを交えて、卵焼きの作り方を伝授してくれたら、最高の物語になるだろう。しかし、私は未だに卵焼きの味が定まらないまま、自分の味を探し続ける。

 遠く離れては居ない。私がその場所へ行くことはないように。

 市電で、そこから降りて数分という近くを通り過ぎる。

 想像の中では、お店の看板も紺色の暖簾もそのままで。

 そんな私の思いは、気にもしていない女性がいつまでも、その場所にいるような気がする。

 いつか、行きたいと思いつつも、自分の年齢が、もう女の子ではないことに、どうしてよいか分からずに、電車の窓から、私は、すでに変わりつつある景色を眺める。

 

 

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