八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「料理」蒼月光 著

おふくろの味というのがある。

幼い頃から食べ慣れた、自分の家でしか食べられない味。

我が家の場合は、主に御赤飯と小鯵の唐揚げの南蛮漬けだろうか。

私は生まれも育ちも道産子だけれど母は関東出身。

関東にいた時間より北海道で暮らす時間の方がはるかに長くなってしまった母であっても、自然と料理の味付けは関東方面のものが良く出てくる。

 

まず我が家で御赤飯を作る時は小豆を使う。

小豆を水でふやかした後、煮て、煮汁でもち米を染めて炊く。

北海道では小豆ではなく、甘納豆が御赤飯に入っているのが主流だ。しかしながら、私はこの小豆御赤飯しかほぼ食べてこなかったので、逆に甘納豆の入った御赤飯が珍しく感じていた。甘納豆の方が嫌いという訳ではないが、舌に馴染みがないためか、小豆と甘納豆の二種類が選べる時は、今でも小豆を選択するほどだ。

ほんのりと豆の香ばしさを感じながらもっちもちと食べる御赤飯は、ハレの日に必ず作り続けている料理でもある。

 

それから、小鯵の唐揚げの南蛮漬け。骨ごとまるまる食べられるように小鯵をカリッカリになるまで油で揚げ、そこにマリネした玉ねぎや大根や人参をシャバッとかけて食べるもの。

これは私の好物なのだが、なかなか食べられない料理でもある。

何故か。

それはとにかく小鯵が売られていないからだ。
アシがはやいとは云え、生鮮品であっても流通の優れたこの時代、食べ方を知らないから買わない売れないのがその理由なのだろう。本州でホッケが貴重であるように、北海道では馴染みのない種類の魚だとも言える。実際、私も小鯵の食べ方は、この唐揚げ南蛮漬けくらいしか知らない。売られていないから作るにしても作ることができない、勿論食べることもできないなんとも悔しい料理なのである。

数十年前、まだ子供だった私がこの料理を大好きなことを知った母方の叔父が、何かの用事で此方に来た時に、わざわざ発泡スチロールの箱にいれて、大量の小鯵を直接持ってきてくれたことが鮮明に記憶に残っている。
まるで釣りから帰ってきたように、陽気な笑顔でさり気なく届けてくれた様子は、とてもはるばる飛行機でやってきたようには見えなくて、嬉しいと同時に驚いたものだ。

 

食材あっての料理。地場にない料理に惚れてしまうと、片思い感が半端ないのである。

高嶺の花に恋したように、表立ってはいかないけれど、密やかにずっと熱は鎮まらず。

今は移住が流行っているそうだけれど、こういうのも理由の一つなのかなと思う。

 


先般までテレビで放映されていた「きのう何食べた?」というドラマがある。

俳優陣のキャスティングの妙もあり絶賛されて終了し、早くも続編を希望されているドラマだ。御多分にもれず、私も毎週、深夜に放映されるこのドラマを観ては、シロさんとケンジに夢中になった一人である。LGBTの日常を描き、様々な見方が出来る作品でもあるけれど、今回は料理に注目しようと想う。

 

主人公の弁護士として働くシロさんは、家に帰ると日々の料理を作る。

家族であるケンジと自分の為、ひと月の食費や摂取カロリーにかなり気を配って作るのだが、副菜が好きという困った凝り性でもあり、頭を悩ませながら作る。

生きる為、それもどんなに願っても子を成せない二人が少しでも健康的に長生きが出来るように想いを込めて。

 

このシーンを観た時、自分が子供の頃、母は当たり前のように食事を用意してくれていたのを思い出した。至らない、ただの子供だった私は、これは一般的な家庭の光景で当たり前のことだとすら思っていた。

だが、本当は違う。

自分が大人になりキッチンに立つことが多くなってきて、ようやく初めてわかることがある。思い返せば母は自分が体調悪かろうが、親子喧嘩をしてようが関係なく、最終的には絶対、なんらかの湯気の立つ料理を作ってくれていた、と。

 

料理は使う皿の大きさや枚数に関わらず、少なからずの思考力や体力等を使うもの。しかも、毎日、来る日も来る日も。
これが自分だけなら、適当に済ますのだろうけれど、一緒に食べる人がいるならそうもいかない。大抵の家庭で出てくる「好き嫌いは駄目バランスよく食べなさい」…そうお小言を言う為には、まずバランス良い料理が食卓に並んでいる前提が必要だ。

 

シロさんも一食でなるべく「あまからすっぱい」を網羅して提供すること念頭に、メニューを毎日創り出している。

このポイントは副食にある。

御飯一食、メインはすぐ決まるものの、それに伴う副食というものが本当に難しい。

例えばここに、炊き立て御飯とマグロのお刺身がある。

その他に何を揃えるか。野菜が欲しいからお浸しか、それともお味噌汁か。子ども達の好きな卵焼きでも焼こうか。1日頑張ったご褒美に、貰ったカニ缶で何か作ろうか。

料理人の腕の見せ所でもあるが、一番の悩みどころでもある。

 

お腹の虫が騒ぎ出すような温かい薫り、色とりどりの料理がお皿に乗って。

「今日はあれがあってね」「明日はこんなことがあるみたい」美味しい料理に箸を伸ばしながら話したり思ったりすることは大抵が愉しいこと。社会的にも重要な商談には美味しい料理が必須という。料理は人の心理にも作用するものなのだ。

 

孤食が社会問題になり、子ども食堂というものが徐々に広がりをみせている。

食事は、栄養を補給するのが第一の目的だけれど、同時に心の栄養補給できるものでもある。御飯一粒ですら食卓に並ぶまで、どれだけのエネルギーが必要だったかを伝えることができたら、きっと心がこもった挨拶ができるはず。

「いただきます」

「ごちそうさま」

それがどれだけの波紋を呼べるのか、分からないけれど。あまりの理不尽さに胸が痛むニュースが一つなくなるくらいの効果はあるんじゃないかと願いを込めて想っている。

 

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鮭と卵とキュウリのおすし