八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「映画」蒼月 光 著

 学生時代、履修科目でフランス語を学ぼうと選択した。

義務教育から散々教え込まれてもしっくりこない英語への反発か、見知らぬ言語への単なる興味だったか、今となっては選択した理由はトンと忘れてしまったが。

担当教授は肩までの長さの真っ黒い髪をソバージュにして、眼鏡にキラキラ煌めくグラスチェーンを付けた、今にも「ザマス」という語尾を使いそうな女性だった。純日本人でありながら、フランスという国の気質が滲み出ているような第一印象を覚えている。

 大学はカトリック系だったため、穏やかなシスターが教壇に立つのことも日常だったが、その中で、華奢な体に似合わず、ビジバシと体育会系な授業を進める熱血的な彼女は異質とも言えた。

 「もっと学ぶ意欲をもちなさい」「何故こんなことも分からないの、もっと考える!」義務教育をとうに過ぎた20歳前後の女生徒達に注ぎ込む情熱の嵐。そもそも私同様、興味本位で、初めて触れた言語でもある人がほとんどであろう中、その勢いにのけ反るか、うつ伏せになるかの生徒が多かった。
 それでも、毎回数分間有った、日本とフランスの文化の違いを雑談として聞かせてくれる話は興味深く面白いもので、その時ばかりは皆、前のめりになった。教授は、雑談は好きね、と皮肉を言いながらも悪い顔はせず、色々な話を分かりやすく教えてくれた。内容は残念ながら、授業の内容と共に、殆ど忘却の彼方に飛んで行ってしまったが、フランス女性のおしゃれな生き方は学ぶべきであると、何度も繰り返し聞いた事だけは覚えている。

 そんな中、「今日はフランスの古典映画を見ます」とDVDを取り出して、小さなスクリーンに映し、授業まるまる上映会となったことがあった。

 字幕があったがサイレント映画ではない、モノクロの古い映画だった。

 お金持ち風のお嬢さんが、戦争から帰ってくる婚約者を待つ間に起こる騒動…のようなストーリーだったと思う。残念ながら授業時間内に終わることなく、途中で切り上げとなってしまったが、割と面白く観ていたと記憶している。

 

当時、流行りの映画というとハリウッドのアクション映画が主流だった。

正義の名の元、ドガーンバカーンと爆発させては傷だらけの主人公とヒロインがハグして、スタッフロールが流れる映画ばかりが上映されていた。

SFXやアクションの迫力による面白さは認めるが、さすがに食傷気味になっていた私は、気になる映画上映が有れば、地元にある映画館シアターキノに行って、あまり大々的に上映していない映画を観る程度には映画が好きだった。

 設立当時のシアターキノは日本一小さな映画館として有名(現在は移転して少し規模が広がっている)な映画好きの人達の匂いが漂う、小さくとも立派な映画館だ。移転前にも2.3度行った事があるが、飛行機の座席に似て座席の傾斜もない昔ながらの「映画館」を体現したような場所だった。
 

 踏めば木の軋む音がなるような古びた校舎の片隅の教室で観るのも雰囲気があって良かったが、授業でフランス映画を鑑賞した時にはこのシアターキノのようなコジンマリとした映画館で観てみたいと思った。

 映画好きしか来ないから、電源を切り忘れた携帯電話の着信音も、ガサガサとお菓子を漁る音も、小さいと思っているだけの妖怪小声モドキも何もない、自分の家で観ている延長線上のようなこの映画館で、ドップリと浸かりながら観てみたい、と。

 

 モノクロ映画当時のフランスの通俗がどういうものか不勉強ながらも、ヒロインが着ているワンピースより豪華でドレスより少し軽装な洋服、次々と現れる登場人物達の洒脱のある会話、セリフに合わせて響く靴の足音が創り上げていく日常。フランス映画といえば、リュックベッソン監督くらいしか思いつかない不勉強な私には、御伽噺を観ているのに似て新鮮な驚きが有った。

 

 「年々、日本の女の子たちの品が下がってきているように感じられるわ、品を大事になさい」いつも凛々しくスーツを着こなしていたソバージュ教授は、カツカツと教壇の幅一杯にヒールを鳴らして言っていた。授業を重ねる度、まだいもしない姑の幻影をみているような気になったのは私だけではなかったはずだ。

 確かに、あの映画に出てきた女性たちがフランスでの一般的な女性の振る舞いをしていたのならその通りであろう。けれど、邦画を観る限り、そうだと言い切れるのだろうかと疑問も浮かんだものだった。

 

 西洋の女性がワンピース以上のボリュームのあるスカートを普段着にしていた頃、日本での普段着は着物だった。時代劇物の邦画を観ると、あの時代の女性達は指の自由がない足袋と草履や雪駄で、歩幅の稼げない着物の裾をさばきながら静々と歩く。どこかに座るにしても帯を気にしながら楚々と腰掛け、物を取るにも袂の袖も乱れないように最小限の手さばきを要求される。

 ただし、それは、お城のお姫様や大店のお嬢様役の身のこなし方だ。

 城下町のよくあるお茶屋の小町ちゃんになると動きやすさ重視で働きやすい着物の着付け方をしているようにみえる。あくまで映像世界でのフィクションが含まれているとはいえ、実際、そこまで離れた表現でもないと思う。

 あの時、先生は、何処に居た女の子達の何を観て「品が下がってきている」と盛大なため息をついたのだろう。いつの時代にも繰り返される言葉は有るのかなと、国文科の生徒として気付かされた授業でもあった。

 

 

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