八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「映画」御理伊武 著

人生初の映画はドラえもんだ。

のび太の魔界大冒険」かつて札幌市中央区2条西5丁目にあった、東映に家族でドラえもんを見に向かった。日曜日で満員御礼、立ち見大歓迎。ラッシュ時のような人の混雑の中、通路にも人がいっぱいで、ぎゅうぎゅう詰め。 

 

私達家族は他の人もしていたのと同じように通路の階段に新聞紙を敷いて座り、映画を見た。映画の内容は覚えていない。ただ、小さな子供が立っているのに平然と座る大人が大勢いること、立ち見でも席に座っていても同じ金額だということ。そして人の影で画面がろくに見られないこの状況に腹が立ち、通路の端に光るオレンジの足下を照らす明かりと、赤い通路の階段、人々が落として散らかったままのポップコーンの白い残骸を見つめていた。

 

当時は入れ替え制ではなく、上映中に入場することができた。だから、途中から終わりまで見て、また、最初から途中まで見て、その場面が終わったら出る。でも最後までまた見ても良い。途中で出るのもありなので、途中から映画館へ入ったときは、退席する人を待って席に座った。今は途中から映画館をみるなんて、想像できないと思う。入れ替えではないから、チケットを買えば、一日中、映画を見続けていられた。そんな文化人のような経験をしたかったのだけれど、大人になる前に、総入れ替え制に変わってしまったのは残念だ。

 

小学校3年生の時に、担任の先生が放課後に映画を見に行く機会をつくってくれて、クラスの数人と先生とで見に行った。その場所は今でも狸小路にある東宝プラザだ。今は名称が変わり、札幌プラザ2・5となっている。

 

その時に見たのは「ケニー」という腰から下の身体がない障害を持った実在の少年が出演している自身の身の回りについて描いた、ほぼノンフィクションの映画だ。子供ながらにその姿に衝撃を受けたのだが、身体の不自由さを生まれ持った本人は気にせずに、移動手段であるスケートボードをぐんぐん勢いよく走らせ巧みに操る。その姿は、同年代の若者以上で格好が良かった

 

ストーリーは思い出せないが、今でもケニー少年の両手を自由に動かして、活発に動く姿を覚えている。若い少年がやたらと走るように彼も思いのままに、両手で自由自在不自由なんて言葉すら存在にしないように生きているのだ。

 

家庭のある若い女性の先生がどうして、放課後にわざわざ生徒を引率してくれたのか、分からない。竹製の1メートル定規を持って背中やおしりをたたくのが体罰ではなく、通常の躾だった頃だ。夕方から集まって夜に帰ることは、小学生には大冒険だった。クラスのどの人と行ったのかは覚えていないが、2階から降りる急な階段を自分も後ろの人にも気をつけながら振り向き見た光景だけは覚えているのだ。

 

中学生、高校生の時には友達とスガイディノスへ映画を見に行った。どんなに感動する話でも、涙は出ず、面白かったねーと言って、下のゲームセンターでプリクラを撮った。

大学時代は、映画好きの集まるサークルに入り、皆で夕張国際映画祭へ行き、夜通し映画を映している会場を観て回り、閉校となった校舎を利用した宿泊所で雑魚寝をした。

 

映画を観る日は、映画がメインになってしまい、他は全て映画を観るためのオマケに思えてしまう。二時間腰掛けて、スクリーンに集中する。身体を動かさずにいたから、ぼんやりを手のひらがむくんでいる感覚を感じながら、椅子に沈み込んでいた身体を起こし、ゆっくり立ち上がる。夜までは時間があるから、時間をもてあまして、ロッテリアでシェークを飲んだり、雑貨屋をぷらぷらと見て回ったのだと思うが、頭の中が映画の内容で占領されていて、何をしていたのか思い出せない。

 

日常から離れた特別な場所が映画館だ。

そこで観るのは起きていても観ることができる夢のようなものか。

 

かつて、ドラえもんの映画を観に行きたかった私のように、私は子供のために長期の休みの度に映画を見に行く手数を整える。

今はeチケットという前売り券をコンビニで買い、ネットから行きたい会場と日付と時間を選び、座席を指定する。一度決定してしまえば、取り消しは出来ないのだが、行って満員で入ることができるなんてことはなく、ゆったりと映画館へ行って、事前に決めた席に座ることができる。

そして、前売りで少しだけ安く入った分もあり、ついつい、バケツみたいな大きな容器に入ったポップコーンを買ってしまう。スーパーで買うよりも数倍高いし、食べるとお昼ご飯や夕食を食べる前にお腹がいっぱいになってしまうと思うのだが、ついつい甘いキャラメルの香りに誘われて、今日だけは特別だよと、半分は自分に言い訳をしながら買ってしまうのだ。

 

事前に予約する席は、前が通路になった中段真ん中の席がベストだ。

トイレにすぐに行けるし、前に人がいないので視界が開けているのがいい。

 

狭くて、前が見えなかった子供時代の私とは全く違う状況で映画を観ている子供達は、かつての子供時代に観た映画をどのように振り返るのだろう。映画の内容よりも、ポップコーンを大量に食べた思い出だとしたらため息が出る。

 

すっかり、歳のせいか涙もろくなった私は、ドラえもんのオープニングの歌の時点で泣けてしまう。そして人の影で、前が塞がれた状況でも、同じようにドラえもんの映像を目で追っていたことを思い出す。

 

ポップコーンのガサガサボリボリという音を聞きながら。

私は、キャラクターの描かれたハンドタオルでこっそりと一人涙を拭う

 

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