八味姉妹の部屋

文芸ユニット。只今、エッセイの勉強中です。

「カメラ」蒼月 光 著

カメラのレンズを向けられることが苦手になったのはいつからだろう。

実家には無数のアルバムに赤ん坊から大きくなるまでの写真が収めてあるのに。それも全部一つに纏めたら、公園でシーソーが出来るくらいの重さになるんじゃないかと思う程である。

 

それほど撮られ続けたはずなのに、今ではレンズを向けられると、目や唇をどうしたらいいか分からなくなる。素材と年齢分向き合ってきた自分には、映り良く撮られたいという願望はとうになくなっているというのに。

 

どんな表情を向ければ良いのか分からない、というのが正直なところだろうか。
カメラシャッターを押す人に向ける笑顔をと考えれば良いのだろうが、どうしてもその前のカメラが目に入る。変なコダワリなのだろうことは分かっているのだが、どうしても意識しすぎてしまう。お陰で写っている写真はどれもこれも口元が引きつっているようにみえるものばかりだ。だから、写真に関しては誰かと記念に写る以外は、なるべく写りにいかないようにしている。自分は人や動物や風景かまわずにシャッターを切ると云うのに可笑しい話かもしれない。

 

ちょっと前まではスマホのカメラ機能もさほど高性能ではなくデジカメで写真を撮ることが一般的だった。御多分に漏れず、私も何処かへ行くとなったらデジカメを持っていっては写真を撮るようになっていた。

その切っ掛けは地元北海道がどの風景を切り取っても美しく見える場所が多いのに気付いたからだ。


ご承知の通り北海道は広い。

 

おそらく初めて来道される方は戸惑われるだろうほど広い。函館、札幌、富良野の観光地を一日で廻ろうとする人がいるのなら、それは無理だと教えてあげるほどに広い。そして人口が少ない。場所によっては酪農で飼っている牛の数が、その町の人口の数倍だったりする。

だからこその、本当の自然が多分に残っている。

 

知床のような人の手が加えられていない、原始からの肌にまとわりつくような濃い空気を保っている場所があれば、富良野のラベンダー畑や美瑛の丘等の人の手が加えられてるからこその壮麗な景観場所もある。

本来ならばほんとうに細かく脳が記憶してくれたら良いのだが、生憎そういう立派な頭脳を持ち合わせていないので、思い出す切っ掛けとして、カメラで写真を撮り始めた。

それが、私とカメラの出会いだったように思う。

 

いつからかスマホカメラの性能が格段に上がり、いつのまにかデジカメを持たなくなったが、その分より気軽にかつ高画質な写真を撮ることができるようになった。

この「気軽に」というのは本当にポイントが高い。

昔から友達と家から遠く近く問わず、ちょいちょい足を延ばして何処かへ行くことが多かった割に、カメラを持ち歩くことが面倒で、意外に写真は残っていなかったことを本当に後悔し始めているからだ。

 

人は生きている以上、日常に忙殺される。目覚まし・時刻表・書類・電話・インターホンに、町内会の回覧に…。日々覚えていかなければならないことを優先する為だろう、古い記憶は日に日に擦り切れて行ってしまうものだと思う。

実際、ちょっと歳を経た今、あの時の思い出話をすると「いや、あの時はこうだった」「いやそれは違ってこうだった」という話になり、しまいには「記憶ないわぁ」という

残念な事が多くなってきた。

 

あれだけ愉しい時間を過ごしたはずなのに、記憶の齟齬や喪失は、仕様がないことだけれどどうにも哀しく寂しい。こういうことがある度に、ここで写真が有ったらと痛恨の後悔を受けるのだ。

きっと1枚でも当時の写真があれば、誰かが忘れていた小話を思い出して、それが連鎖して。思い出話の花が見渡す限りの規模でワッと薫り立ちながらもっともっと咲くだろうと。だから、今は、容赦なくスマホカメラを利用させてもらっている。

 

スマホ選びもカメラを基準にするほどで、ウデさえあれば夜景も綺麗に撮れ、容量も申し分ない。友達が此方に顔を向けていなかろうが、青空がみえない曇天だろうが、ちょっと盛りから過ぎた花だろうが、自分のアンテナがピコンと立った時は、必ずカシャリとするようにしている。

 

飽くまで個人の趣味なので、誰に何を言われることでもないが、ツィッター等で共有した時に、いいね、と言われると正直、悪い気はしないもので。

また逆に、他の誰かが撮った写真をいいね、と伝えることでも、素敵な時間を切り取った瞬間を共有できたようで、なんだか胸の辺りに甘い湯気がたつのだ。

 

勿論、巷で流行ってる、写真だけ撮ったら良いというマナー違反は自戒している。

牧場や畑に無断で入り込んだり、食べ物を粗末にしたり…何の為にそこに在って、それが素敵なのかと考えてからカメラは構えるべきだろう。何よりその方が、良い写真が撮ることができそうだ。

 

後の時間に残したいものは何か、そこまで考え及んでシャッターを下ろすことができたらプロの領域だろうから、私はせめて、思い切り息を吸い込んで、色んな角度で被写体をみてからシャッターボタンを押す。

 

人の記憶は五感を使った方が記憶に残りやすいと何かで読み齧ったことを信じているせいだと自分では想っている。

 

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マオイの丘




 

「カメラ」御理伊武著

1990年代に学生時代を過ごした私たちのカメラといえば、使い捨てカメラが主流だった。カメラ自体が高級品だったので、千円程で24枚撮れるフィルムが内蔵されている使い捨てカメラは学生のお小遣いでも気軽に購入することが出来た。ピント合わせが不要でシャッターを押すだけという扱いやすさも良い。撮り終えたカメラはそのまま写真屋さんに持っていけば、現像されフィルムと写真にプリントされて返ってきた。

 

 その使い捨てカメラで、私は青春を写した

 その殆どがきらめく笑顔の青春そのもの

 

修学旅行や学祭、部活の発表会、友達との旅行、めくりめくる思い出が小さなカメラの中に収まり、興奮が収まった頃に写真として手元に残る。全て過ぎた今は思い出を辿るための手段としてファイルに収まっている。たまに見返しては過去の自分に浸る。

 

私は自分が写るよりも、撮る方が好きだった。

自分を好きではないというのもあったが。それよりも、私は、好きな人を撮影したかった。大好きな友達も、そして、そのときに好きだった彼という人も。使い捨てカメラの24枚の何枚でも。自分は写っていなくてもいい。自分の記憶が不安な私は、なぜか人の名字を時々忘れてしまう。四文字程度の文字すらも、記憶の端にあり、上手く引き出せない。そしていつしかぼやけて忘れてしまうその顔を覚えていたかった。

 

夕方近く、デートに出かけた広い空の下で、好きな人は快く応じてくれて、「はい、チーズ」の後に笑顔を作ってくれる。その時、その人は私を好きだったのだろうか。分からないまま現像されて、JRの定期券の裏にしまう。そんな写真を宝物にしてしまうのだから、恋は盲目だ。数十年たって、実家でネガを見つけた。高校時代の記録とごっちゃになったネガだ。

 

私にとっては重要なのか、大切だけれど、私の記憶にだけ必要であって、あとは誰にとってもゴミだろうと思いつつも、処分しないまま、実家の段ボールの蓋を閉めて帰ってきた。

 

同じ瞳で私は四角いファインダーを覗く。そこには大好きな仲間がいる。同じ時間を共に過ごし、学校生活では心を許しあった仲間だから、皆でふざけて写真を撮った。そして部活の帰り道、貴重な一枚のフィルムをあまりにも美しい空の色に惹かれ、シャッターを押した時もあった。

大学時代は、今しか過ごせない大切な仲間がいたことを少しだけ、背伸びしていた私は皆に残すために写真を撮ったこともあった。

 

夫の専用の、旅行に行ったときのご当地キーホルダーや、友達の結婚式のパンフなど、処分しきれないものが入った引き出しに、現像されないまま残された使い捨てカメラの本体がある。フィルムを使い切ったカメラは20年以上前のものだ。

夫のものだから、そのまま引き出しにしまってある。現像に出せば1時間もかからずに写真にプリントされて、見ることができるだろう。

でも、未だに引き出しの中にそっと仕舞われている

 

セピア色のフィルムで写る昔の私の記憶。

24インチの愛用の自転車に乗り、ドキドキしながら、写真店にカメラを持って行く。仕上がりは、明日ですよと言われ、出来上がる時刻に現像して受け取るまでどんな顔で写っているだろう、ちゃんと写っているかな、とわくわくしながら過ごした。昔は一枚のフィルムをどこで使おうかと、一枚一枚が貴重で、大切にシャッターを押した。そして、現像に出して、写真店で受け取った帰り道、家に帰ってから見ればよいのに、我慢できず、その場で封を開けて、一人でにやにやしながら眺めた。

 

美味しそうに出来上がった料理の前で写真をとる。

一日の自分の一瞬の記録として。

特別な場所に行かなくても、散らかった家のリビングでもシャッターを切る。

幸せな記憶として写真は残る。

 

今はスマホで写真を撮る。いつの間にかデジタルカメラの要素をもったスマホは、使い捨てカメラの代わりになり、私は普段の生活をフィルムの枚数を気にせずに切り取る。

撮った写真は、すぐに同じスマホで見ることが出来る。多少ぶれていても、失敗しても、枚数に限りはないからそのまま残して置く。

 

少し休憩と、横たわった時に、心を癒すのは自分の記憶を引き出してくれる写真の記憶だと思う。テレビやネットニュースや小説は他人事だ。

 

写真のフォルダーを開く。

そこには、幸せな光景とそのファインダーの向こうにいる、幸せな私の姿が、ぼんやりと瞳に映る。

現像されない写真は、クラウドという宙に浮かぶ

スマホの中の写真のデータはいつか、消えてしまう。

瞼を閉じた私は、現像しないまま宙に残る写真を、消える前にだれかが追ってくれるのだろうかと考える。

 

いつか、皆が忘れる頃になって

確かにその瞬間を写した事実だけを残して

多くの大切な記憶は、空の大きな雲の中に吸い込まれて、消えて行く

 

朝早く私は同じ瞳でファインダーを覗く。

その先に写るものは、明け方の東の燃える陽の色だ。

夜のうちに、ずいぶん、電源が減ってしまったと、

私は白い線をコンセントへとつなぐ。

 

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「青」というテーマの元に「色感談義」 高柳 龍 著

八味姉妹の執筆活動の原点は、学生時代に立ち上げ直した「文芸同好会」です。
その時の顧問である高柳 龍先生に、最近、再び懇意にして頂き、ご指導賜りたくエッセイを執筆して頂いておりました。
(文学フリマに来て頂いて、本当に感謝と嬉しさでいっぱいでした…!)

余りに面白い内容なので此方に原稿を投稿しても良いかと確認したところ、快く良いとのご返答を頂けたため、これから少しずつ載せていく予定です。

どうぞ滋味溢れる八味姉妹の師匠の世界をご覧下さい。





「色感談義」


 子ども達が幼かった頃、雨が上がるや外に飛び出し、虹を見つけて歓声を上げた。見入る子等に何色あるかを尋ねると兄妹揃って指差しながら数え始めた。七という数にはなかなか達しない。
 が、若き親は教えたくなる。まずは赤だろう、次は……、
「お父さんにもきちんと見分けがつかないけど、専門に勉強すると見えるんだろうねぇ」
 それ以前のことだったか、何色が好きかと尋ねた。妹の方が即座に黄色と応じたのに、息子は暫く首を傾げたのち「赤」と答えた。どうしてと聞くとまた考え込む。娘は横合いから「可愛いから好き」と得意である。ややあって、「お日様の色だから」と。……ええっと此方が反応したのへ、「それに、『レッドファルコン』(当時の戦隊ものTV番組のリーダーであった)の色だから」と言うのには笑ってしまった。


 一体全体、私はどんな気持ちで子等と会話を楽しんでいたのか。
 男色(おとこいろ)、女色(おんないろ)。今、口にすれば𠮟られるだろうが、昭和30年代には罷り通っていた。とりわけ私はその意識が強かったかも知れない。黄色のカーディガンすら拒絶した。では、何色を好んでいたか。「青」だった。理由は? ……妹も「青」と答えた時、やたら腹が立った記憶がある。


 色の好みに理由など必要か。好きだから好きなのさと嘯く人もいる。理由など無くとも選べるのはなぜか。それも個性のなせる業なのか。でも、いかなる嗜好にも理由は厳然とあるだろうに……と何だか煮え切らぬ己がいる。


 母は若い頃から深い青緑色を好んでいた。身に着ける物の多くがそれだった。父が「黒」と答え、その理由を何物にも染まらぬ強さだと答えたが嘘っぽかった。対して、気になる女の子が「白」と言って「どの色にも染められるから」と口にした時は不快になった。
 老齢になると不思議に好みに変化が生ずる。渋みのある色や香り、所作・雰囲気などに惹かれたり、音楽でも演歌に魅力を覚えたりした。車を乗り換える際にも、白やシルバーにしか乗ったことがないのに、「ダーク・ブラウンにしようかな」と妻に言ってみた。娘にまで反対された。


 今の自分は何色が好きか。茶? その表現には抵抗がある。が、「焦げ茶」と言えば悪くない。いや、抑々「好きな色」などということ自体が愚問であり些末なことだ。

……でも、やはり青色かなあ、とつい思ったりするのはどういうことだろう。

 自分が子どもの頃、「青」が好きな理由を空や海の色だからと答えた気がする。でも、色彩には幅があり本当は藍色や群青色をイメージしていた。色の種類はたくさんあるけれど「好みの色」と言えば不思議と数種に絞られる。だから性格判断にも使われるのだろう。 

 それこそ人の数だけ存在するはずの個性、自己同一性との関わりがあるとするなら、私は集団内に取り紛れるのが生来嫌いだった、それでいて目立つことは好まぬ性分でもあった。

 寒色である「青」は集団を好まぬ孤立への憧憬だったか。静寂に身を委ね自然の儘に呼吸ができる安穏さを求めていたか。『銀河鉄道の夜』の寂しくも美しい世界に共鳴したのも底にそれがあったせいなのか。


 社会人になって年嵩の先輩から「青いなぁ」と言われ、ムッとしつつも内心嫌じゃなかった時期がある。青春は年齢を問わぬということを考えもしない頃だった。「青春」という言葉に至高の純粋美を感じていた。それは同時に「春」という季節にも過大な情感を結び付けていたろう。「青」に関連する言葉の輝きが蔓延して行った。強烈な思い出が、自身の歴史が作られた頃であった。


 やがて、自己認識に固定を見、妥協する高齢を迎えた。可能性が次々に閉じられて行くのを意識した時、己の確固たる過去を片隅に置きながら、若人達の青さ、それ故に努力する美しく逞しい姿勢を強く感じるようになっていた。それは個々の美であり、しかし、孤立ではなく集団の中で光り輝く姿勢への感動だった。その個の輝きは色にすると「赤」だろう。今は女色として嫌ったりはしない。

 

 だが、その存在が明確な立ち位置を持っていること、また、そのステージこそが「」なのでもあった。

 

 「」の象徴する個の美しさ、その個々を有しながら圧倒的存在である世界が今も好きなのだった。雲一つない深い碧空、塵を寄せ付けぬ深くて透明な蒼海に惹かれるのは、ひょっとして青き天球に繋がっていたか。


 春、身の丈ほどのランドセルをしょって歩く子どもを見ると思わず涙ぐむ。

 皆それぞれに歩み、社会を形作っている。    

 人の世は悪くない、一人ほくそ笑んだ他愛の無い話である。          

 

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「インスタントラーメン」御理伊武 著

 私は小学校の3年生の時に自然研究クラブに入っていた。

 この会は、町内会の健脚なボランティアが開催しているクラブで、山の草花を観察しながら山登りを楽しみましょうというふれこみだった。近所の体力有り余る男子の友達だった私は、引きずれられるように自然研究クラブに加入させられた。

 元々、体が辛いことは全くしたくない女子である。一ヶ月に一回、近郊の山に登りにいくらしい。頼りになる男友達は説明会の時点で同じ小学校の他の男子と仲良くなり、私はほって置かれっぱなしだった。女子より、男子より、やる気のある大人がたくさんいる中、ノーと言えない私は二週間後に迫った、初回の登山の詳細が書かれたプリントを家に持ち帰った。

 さっそくイトーヨーカドーに行ったが、書かれていた物がない。その後、父と自転車で石黒ホーマまで行った。固形燃料と、アルミ製の片手鍋を手にするためである。後は、袋入りのラーメン一丁。

 

 山で、自然観察をして、道中で袋入りラーメンを固形燃料でお湯を沸かし作って食べるという会は、小学生向きというよりは、大人の楽しい山歩きに付き合う子供達という感じだった。

 私がインスタントラーメンに思いを馳せるときに浮かぶ画像は、登り終えた山の山頂ではなく、中腹の空き地で食べたアルミ鍋のラーメンだ。

 食パン一枚分位の大きさの缶に入った水色の固形燃料に火を付けると、丸い缶の蓋の出口の大きさに合わせて炎が上がる。その上に水の入った鍋を乗せる。缶の開けた先は、開け口が台座になり上に鍋などが置ける形状になる。鍋の中の水がコポコポ言い始めたら、メンもスープも同時に投入する。

 教えてくれた人が大雑把だったのだろう。袋の裏の説明では麺をゆでて最後にスープを投入するのが正しいが、味の違いは正直分からない。沸騰の爆発を合図に鍋を一度、固形燃料から離す。火加減ができないので、一瞬間を置いて、もう一度火にかけて沸点まで沸いたらできあがりである。

 味見などもちろんしない。

 固形燃料は、指導してくれた先生によって蓋をする、地面にそのままひっくり返す等、オリジナリティーがあった。

 もちろん、鍋から直接皆、食べたのだろう。私はインスタントラーメンを作った記憶は残っている。岩場や、なんでこんな場所で、という固形燃料とラーメンの旅に翻弄されていた。でも、私は食べた記憶がない。何味を好んでいて持って行ったのかは、すっかり忘れてしまった。無意識のうちに食べていたのか。残ったスープをどうしていたのか、固形燃料と鍋と薄く白いラーメンの記憶はあるのに出てこないのだ。

 

2018年9月6日

 地震により、オール電化のマンションは、火も使えず明かりも点かなかった。水道はきていたが、電気のポンプで動いていた下水はそのうち使えなくなると分かっていた。

非常事態に何も用意していなかった私は、学校が急遽休みになりいつもよりも生き生きとしている子供達と、陽のあるうちにコンビニの列に並び何時間も待った。買ったのは残っていたインスタントラーメンとジュース。薄暗い店内に残ったお菓子もあるのに、黙って付いてきた子供達は何もねだらない。子供にとっても非常事態なのだと感じた。

 スマホの充電器も、懐中電灯も、カセットコンロも、備えは何もなかった。ロウソクがあったと、思い出して、アロマキャンドルをダイニングテーブルに置く。明るくゆらめく炎の雰囲気が、なかなか良い。こぢんまりとしたフレンチレストランの雰囲気さえ醸し出している。

 インスタントラーメンといえば固形燃料の私は、チーズフォンデュ用の小さな固形燃料を台にセットして水を沸かそうとしてみる。

 チーズは溶かせても、大量のお湯を沸かすほどの火力はない。

 夕方の6時を過ぎ、太陽の光だけが頼りの原始時代みたいな空の下で。インスタントラーメンを作る。台を外して鍋に火を近づけても、お湯は小さく水泡を作るだけ。

 街の中心部で、一部光が戻ってきている。

 しかし、電力を最小にしてしまったスマホは、情報を得たくても、緊急の電話があった時のために、開くことはできない。

 充分に沸騰しなかったが、ぬるいラーメンを子供達は食べた。震災の停電と小さな固形燃料で作ったぬるいラーメンの記憶。せめて、オール電化運命共同体のマンションの住民と駐車場でキャンプファイヤーで豪快に火を炊いて、燃え上がる炎とともに、一丁上がり!と言っておけば全く別の記憶だったのに。

 

 私は子供時代にインスタントラーメンを食べ過ぎたからか、最近までインスタントラーメンを口にしていなかった。理由は、不健康だし、栄養ないじゃんである。今も、栄養はないと思うのだ。でも、疲れ切ったおばさんの私はそこに朝や昨日の夕食の煮物やお味噌汁の残り野菜を入れて、遅い昼ご飯に、ずずーっと啜る。味をあまり気にしないのが私の駄目な部分だと思う。

 ラーメンのにおいに、子供達が食べたいと言い、小さなパンダや犬のかまぼこが入ったインスタントラーメンにお湯を注ぐ。

 インスタントラーメンが出来た頃に、出来たよと呼ぶと、一口二口啜り、また遊びへ向かう。それで良いと思う。その雰囲気を味わえば。

 

 ホーマック(昔の石黒ホーマ)に行くと固形燃料の缶のことを思い出す。キャンプ用品コーナーでそのような缶を見つけるが、近づかないようにしている。しかし、いつか、子供が火を扱えるようになったら、私はいつしかの大人のように、禁断の缶の蓋を開けてしまいそうなのだ。

 

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ブラックアウトの夜(蒼月宅の場合)

「インスタントラーメン」蒼月 光 著

我が家の定番「マルちゃんの袋めん塩味」は家に食料が何もない時の救世主なので、無くなる前に買い足す生活必需品の一つだ。子どもの頃からお昼や、余りお腹がすいていない時の御夕飯にと、我が家における活躍の場はとても広い。

 

カップ麺より罪深さを感じさせない、くどさが無いのが良い。

鍋で作るのが料理をしてます感が出て、良い。

野菜やハム等が冷蔵庫にあれば、炒めて乗せるだけで贅沢な気分になれるのが、良い。

何もなければ、卵をポトンと落として、じわじわっと白身が固まって煮えていく様を見るのが、良い。

食べ物に煩い私の父もこのマルちゃん塩味だけはずーっと飽きずに食べている。

そんな父は元ラーメン屋でチーフとして何十年と働いていたのだが。

美味しいよね、とシンプルだけど重要な感想を言って、湯気立つどんぶりを顔に近付けてずるずるっと食べている。

 

お気に入りのエプロンをして母と共に父の店の手伝いをしていたことがあるから、細かいことは分からないまでも、大体の仕事の流れは覚えている。

仕込みの材料そのものにまず驚く。

スープの出汁に使うものが、まず一般家庭では出会えないものが多い。

豚骨はまだ良かった。

初めて物凄い大量の鶏の足のボイルされたもの(通称もみじ)に出会い、蛇口から噴き出す新鮮な水で丁寧に一本一本、ぶよぶよんとする触感に耐えながら洗い…人の罪深さと生かされていることにまで想い至ったのは大げさであろうか。


長ネギや玉ねぎや生姜等の大量の野菜と下ごしらえした豚骨やもみじを入れた寸胴に水を入れてスープを作る。

かき混ぜるだけでもかなりの腕力を使うし、ましてもはや私の腕力では持ち上がるようなシロモノでもない。

父の扱っていたスープは余りこってりとしていないのもあって、臭気はそれほど酷くはなかったが、寸胴から沸き立つ熱気が凄かった。

よくラーメン屋さんの特徴としてタオルを巻いているが、滴る汗を止めるには最適な姿なのだ。

 

 

空だった寸胴に次のスープを仕込んでる最中も、お客さんは来る。

へぃらっしゃい!

父と母はキッチンの中から、私は外から威勢よく声をかけてお水の入ったグラスを出しながら注文を聞く。すぐに父は麺を湯で始め、母は器やトッピングの用意をする。

 

私が手伝ったお店は観光地真っただ中だったので、実に様々な層のお客様と出会えて、それだけでも面白かった。

新聞持って苦虫面してやってくるおじさん。

社員証を首から下げて、愉しげに話をしながら暖簾を潜る何処かの社員達。

一人旅なのか、密やかにやってきてラーメンの写真を撮ったりしてる女性。
メニューを指さしながらカタコトの日本語で注文してくれる外国の方。


小さな子供を連れた家族連れには子供用の器をお届けして。

高齢な方がいたら、ちょっと背丈のあるカウンターよりもテーブル席をご案内して。

修学旅行生が一気に押し寄せてきた時は、本当に大変だったけれど、引率の先生に恐縮されたり、JKに可愛いと言われたから許すことにして。

 

でもやっぱり、職場の同僚や友人が来てくれて「美味しい」と言いながら夢中で食べてくれた時は、ちょっと誇らしく何よりも嬉しかった…私はちょっとネギを乗せたりしただけだけれど。

 

そんなお客様のお相手の間にも、ガスコンロの奥の口で新しく仕込まれているスープは煮込まれ続けている。

これから来てくれるはずのお客様の為に。

 

鍋にどんぶり一杯分の水を入れて、カチンとガスのスイッチを付ける。

ゴボボボボと沸騰してきたら袋から麺を取り出し、キッチンスケールで3分。

生卵を半熟になるように途中でぽちょんと入れる。

本当はどんぶりにスープの粉を入れると書いてあるけれど、私は鍋に入れてちょっとかき混ぜてから、全てをどんぶりに移す。

煮ている間に切っていたネギや叉焼を入れて、いただきます、と手を合わせる。

麺が口に入るまで、たった4.5分の出来事。

 

まさに全国各地数多いるラーメン屋と携わる人数多のインスタントラーメンの世界。

店頭まで足を運んでまで食べに来てくださるお客様のために、スープを煮込む臭気や熱気を乗り越えながら、頭と舌をひねりひねり至高の味を求める職人さんがいて。

 

かたや、如何に気軽に、お湯さえあれば過酷なアウトドアな場面や、時には限られた水しかない避難所でも安全で美味しく食べられるものを研究し開発する人がいて。

 

過程は違えど、誰かの為の食を想って全身全霊で動く人たちがいる。

 

子供の頃、よく両親や親戚が「お腹すいてないか」「ほらこれ食べてごらん」と何かあるごとに聞いてきたのを思い出す。

 

人が生きる為の源の1つは、食だ。

 

血糖値が下がって体が動かなくなる最終段階の話もあるが、お弁当や給食や食堂のメニューや、疲れ切った体を迎えてくれる家族が作った御飯…多くの人にとっての毎日生きてくまさに糧でもあるだろう。

 

「すぐ美味しい、すごく美味しい」

子どもの頃からTVで流れているCMのキャッチコピーは、きっと皆が一度は願うことの1つに違いない。「いただきます」「めしあがれ」の笑顔は当たり前のことじゃないことをフワフワンとどんぶりから立ち上る湯気に顔を染めながら思いつつ食べるのも、また、きっと美味しいに違いない。

 

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セコマの山わさび塩ラーメンも癖になる辛さで美味しいよ

「学祭」 蒼月光 著

幾数年ぶりに母校の学校祭に行った。
卒業してから数回はお世話になった先生方に挨拶したり、合唱部や文芸同好会の後輩の様子見を楽しみに行っていた。だが、ここ数年はとんと足が遠のいていた。日常の忙しさに振り替える余裕が無かったせいかもしれないし、振り返る必要が無い時だったのかもしれない。

 

ただ、今年は、学生時代以来の友人でもある相方御理伊武と文学フリマを経験。文芸同好会の顧問との再会し、過去の思い出を振り返ることが多かったから、自然とそうなったとしか言いようがない。色々な流れが、母校に呼ばれている機運を感じさせるには十分だった。

 

「いってきます」と家に声をかけて、当時の通学路と同じ道を辿る。

あいにく雨が降りそうなほどの曇天。
徒歩の後にJRに乗る。ちょっと遠くに連なるそんなに高くもない山と目先に広がる住宅街と…当時と何処か変わったような変わらないような車窓を眺めて。

カタンカタンカタンと規則正しく揺れる音すら懐かしく感じて。
立派で見違えるほど綺麗に改装された駅で下車して、待ち合わせた御理伊武と合流する。

 

母校は立地が特殊なので、卒業してから何度か訪れてはいるが、決して徒歩で行くことはなく、毎回タクシーで誰かと乗り合わせては向かうことになっている。

悪路の為にどうしても荒くなってしまう運転のタクシーから降りて、古式ゆかしいお社にあるのに似た、校舎へと続く驚異の階段を見上げて、息を吐いてから一段一段踏みしめて校舎玄関に辿り着く。

 

校舎の玄関へ続く外装はメンテナンスが届いているのか記憶と全く違わない。カラカラとガラスの引き戸を引いたら、校舎内から向かい風が吹いて髪を撫でた

社会に出てからは忘れていたカロリーの高い空気を伴った風。

かつて使っていた靴箱の間を通って、来客用のスリッパに履き替える。

校名の入った冷たく茶色いスリッパは、ほんの少し歩きにくかった。

 

知らない傷が増えた壁や床に時間の経過を感じながら廊下を進む。

プログラムを確認しながら、合唱部の後輩達の雄姿を見聞するためにイベントステージと化した体育館を目指していた。狭い廊下には一般客と在校生が賑やかに所狭しと動き回っている。過去の私達もそうだった。文化系の部活を掛け持ちしていた私達は自分のクラスの催事もそこそこに、校内を学校祭プログラムを何度も確認しながら走り回る1日だった。

 

熱気が籠もる体育館に入り、綺麗に並べられたパイプ椅子の最前列を陣取り、ちょうど合唱部の演目準備をしていた様子を見ていた。

合唱部に所属している生徒たちの雰囲気が当時の自分達とダブって視えた。

あの時の仲間と同じがみえて、御理伊武と顔を見合わせて思い出し笑いをした。

私達の知らない後輩達もきっと連綿とこの色を繋ぎ続けて来ていたのだろうというのは想像に難くなかった。

 

発表が始まって、今日来られなかった友人達にみせるために、ずっとスマホ動画を撮影しながら視聴した。体育館に少数精鋭で素晴らしい声を愉し気に響かせて。現在の合唱で選ばれる曲が昔とかなり変わっていることを教えて貰いつつ、当時の自分たちが行ったステージを思い出していた。


通常、合唱部というと直立しながら歌うだけというスタンスが正式で歌いやすいのだが、私達は「愉しくなければ音楽じゃない」という考えに支配されていたのか、そこにダンスを取り入れた。

映画の中の劇中歌をピックアップして、DVDをレンタルしてきて何度も見てはダンスを身につけたり、楽譜をなんとか手に入れたり。当時は此処までインターネットが発達していなかったので、色々な資料を取り寄せるのにとても苦労したのを覚えている。

更に部員が余り多くはなかったから、急遽友人・知人もかき集めて、即席でそれなりの人数で毎日毎日練習に明け暮れた。何故、合唱部なのに、こんなに汗まみれになるのか、あまり考えないままに。

同時に文芸同好会の活動も兼ねていた数人は家に帰っては原稿を書いたり、時間をみては製本作業をしたり。あの時期ばかりは学校祭だけに時間が費やされていた。

きっと苦しいこともあったはずなのに、今はもう忘却の彼方にいったきり戻ってこない。

学校祭期間の自由な空気は格別だった。

髪の長さや色やスカート丈が決められた、ただの生徒の姿でしかなかった自分たちが「表現者」となって、モノヅクリに励む時間は教科書では学び得ない貴重な時間だった。

ただただ、愉しかった。

撮った写真がみんな笑顔しかないのも確たる証拠である。

 

音符に溶けた言葉が流れる唇が閉じ、披露された5曲全てをほぼ直立のまま歌い終えて。元気に弾ける在校生達の拍手と、柔らかく包むような一般観覧者の拍手が、現在の合唱部の彼らだけを包んで、私の白昼夢は覚めた。良かったねと呟くように言った、隣で身動きせずに聴いていた御理伊武はショートボブの昔の彼女に視えた。

 

それから校内をグルリと巡り、私達の頃にはなかった合唱部の部室を見つけて、ドアに付いた窓から過去の賞状や盾が並んでいるのを見た。あの中には私達が貰ったものも有ったろうか。

鍵がかかっていたドア。

誰にも言わずにそのままに、また廊下を歩いた。

文芸同好会も同時に探したけれど活動している様子もなく、ちょっと肩を落として玄関に向かった。

 

 帰り際、校舎を見上げると、昔の私が顔を出していた4階の同じ窓から、一人の女の子が遠く広がる景色をみていた姿がみえた。

あの瞳には自分が綺麗な青色に染まっていることがみえているのかなと、ちょっと思ってから、二人、学校を後にした。

 

自分の机と椅子がない今だから分かること。

今の自分の原点が此処にあること。

 

気付けば雨雲の切れ間が広がって碧色が見え始めたような空だった。

私は持っていた傘をくるりとひと回しして、ちょっと口元で笑った。

 

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「学祭」御理伊武 著

学祭ほど陽キャラと陰キャラの差が付く期間はないと思う。

陽キャラとは社交的で交友関係も広く、何事にも積極的で明るく楽しくいつも友達と過ごしているタイプだ。その反面、陰キャラは居ても居なくても分からず、気が付けば校舎の誰も来ないような忘れられた片隅で本などを読んでいるタイプだ。

勿論私は後者なので、なるべく廊下の端を歩き、体育館へ移動する場合などは敢えて遠回りしてなるべく一人で歩く姿を見られない様に行き、いつの間にか居た風を装っていた。そんな陰キャラの私は、学祭について浄化しきれぬ魂がある。

これはそんな私の過去へのレクイエムだ。もし、「私が陽キャラだったら」と想像してみたら脳内でイケてるJKになった。「K 」が「 区 」に視える老眼、ハズキが待っていると思いつつ、学祭バージョンでお楽しみください。

 

 

朝早く起きて髪をいつもにも増して入念に手入れする。コロンなんかもつけちゃおう。

クラスで揃えたTシャツのデザインを考えたのは親友のミー子。仲良しグループの皆とはTシャツにお揃いのキラキラビーズ飾りを付けた。

髪には花輪を飾る。

こないだ遊びに行った時に四人で買ったもの。百均じゃないよ。APIAの3COINSだし。四人とも同じピンクと白のバラ。花を潰さない様に鞄にしまう。

 

学校に着いたら、まずは模擬店の準備。私のクラスはクレープ屋さん。生地はもう出来ているものを用意してあるから、後はトッピングのジャムやクリームを乗せて巻くだけ。

パステル調のお店の飾りは男子と協力して作りました。背の届かないところは手伝って貰っちゃった。

材料の買い出しは、サッカー部でクラスの中でもイケメンの太一君と一緒に行けて幸せだったなぁ。他の友達も一緒だったけれど、私の隣で重たい荷物も持ってくれるし、優しいし、好きなタイプー

さぁ、開始の校内放送が入って、私は頭の上の髪飾りを気にしながら、「いらっしゃいませー」と声を張り上げる。11時まではお店の当番。12時からは体育館で私がボーカルのガールズバンドの発表があるから音出しと準備に行かなきゃ。控室で練習もしておきたいし。

各階の廊下を回って宣伝してきた男子が戻ってきて、次は私とシーちゃん看板を持って宣伝に行く。シーがジャージ短パンの裾をくるくると折っていたから、私も真似して短かくしてみる。今日だけは先生も煩く言わない。また、月曜日からは清く正しくするし。

 

狭い廊下にはたくさんのお客さん。でもほとんどはうちの学生だなぁ。顔見知りにいっぱい会って、その度にシーちゃんと「クレープ美味しいから食べに来てね」とアピールする。頭にピンクと白の花輪を付けた私達に通り過ぎる人が一瞬視線を送る。

ただでさえ可愛いのに更に花で可愛さが増している。なんだか優越感。テストの順位表に名前が載ったことはないけれど、同じくらいの気分の良さ。

クラスに戻ったら、廊下に長蛇の列。

慌ててクレープの作成にまわる。ビニールの手袋をはめて、注文にあたふたしている男子に「手伝うよ」なんて気の利く優しい子アピール。何とかクレープの注文毎に作成して、すぐに手渡しできる状況になり、お会計前の列も減ってきた。そうこうしているうちにバンドに行く時間になって「行ってくるねー」と明るく抜ける。

 

もう控室にはバンド仲間でもちろん仲の良い親友達が集まっていて、最終調整に入っていた。皆、緊張はしているけれど、ライブハウスを借りて他のバンドとライブをしたりしているから、今回も、為せば成る、案ずるより何とでもなるのよ、きっと。

学祭で演奏するのは初めてだし緊張するけれど、まず私が明るくなくっちゃね。最初の一曲目の後のトークで笑いを取ろうか、なんてことを考えてる。

もうすぐ本番。裏で五人で手を合わせて、気持ちを集中させる。クラスはバラバラだからTシャツも色とりどりだ。

舞台が暗くなり、私たちは目で合図をしてステージに上がる。

司会にバンド名を呼ばれ、ステージの照明が付いたら、ドラムとギターのジャーンという響きから曲が始まる。スポットライトの眩しさに目がくらむ前に、歓声が上がる。

 

私の名前を呼ばれる。

 

手を振りたい気持ちを抑えて、歌い出す。最初の曲はクールな曲だ。

体育館に用意されたパイプ椅子がびっしりと埋まっている。お昼時なのに。同じクラスの友達も来ている。男子のグループもいる。クレープが完売したのかな、と歌いながら思う。

私の名前、バンドメンバーの名前、男女の音程で曲を切り裂くように呼ばれる。歌い声よりも歓声の大きさに、私も負けじと。皆の声援に応えるように、歌う。

4曲歌い終えた。最後までお客さんの歓声が絶えなかった。

最高の発表だった。

皆で半泣きになりながらも、やり終えた感で脱力とまだ興奮が残っている。次は、駅前のライブハウスでやろうよと、次の予定を話しながら片付けをする。

バンドの後始末が終わると、中庭でやっているスリーオンスリーのバスケの試合を見に行く。親友のユッコの憧れの先輩が出るからだ。

チョコバナナを片手に中庭を見下ろす。ユッコに近くで観なくていいの?と聞いたが、マジで好きなのを知られたくないらしい。

「そんなの食ってるの?」不意に後ろから声を掛けられて、振り向く。太一君がお揃いのクラスTシャツを着て立っていた。

「これ差し入れ。飯系、売り切れてたからさ。俺、クレープ食い過ぎたわ」セコマの袋の入った、ハンバーガーパンを渡される。温まってないハンバーガーパンは好きじゃないが、太一君を好きな私は、ありがとう、と受け取る。

スリーオンスリーを暫く三人で観て、先輩の試合に三人で歓声を上げた。

 

もうすぐ、バラの花輪を外す時間だ。一年に一度の魔法。

しんみりしている場合じゃない。今日の打ち上げは駅の近くのカラオケを予定している。クラスの11人は来る。太一君は明日サッカーの試合が有るから来られないらしい。

学校を出たら、さっそく今日のお礼をラインで送ろう。個人的にやりとりするのは初めてだけれど。

緑色に光る画面を坂道下りながら、見つめる。

ついでに母にもカラオケに行くよとラインを送る。隣にミー子がいて、くだらない話に笑いながら、歩く。

私は大きなリュックを背中で弾ませながら、振り返った校舎を八時間振りに電源を入れた充電100パーセントのスマホで、パチリと撮るのだ。

 

 

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